昼飯→サラダ、コンビニ弁当
夜飯→ツナオムレツ、もずく酢、冷や奴、サラダ
飲物→水、黒酢ジュース、アサヒスーパーゼロ500ml
仕事→某書籍の編集、某アイドル雑誌の編集
どん。
急激に絵が上達中の我が家の3歳児なのだが、思えば長女が同じくらいの頃はここまでしっかりと人間を描くことができていなかったので、やはり2人目の成長速度は違うのだと実感している。
しかも、描いたらすぐ消して新たな絵を描けるオモチャボードで、ここまでのクオリティを披露してくれるとは、将来が楽しみで仕方がないな、こりゃ。
と、親バカぶりをアピールしてみたところで、ご飯の時間にしたいと思う。
いただきー。
美味しくはないけれど、デカい目玉焼きがイイ。
って、その豆腐の盛り方!
と、ツッコまれそうだが、とりあえずなにかと面倒くさかったのだよ、キミ。
コレに醤油をぶっかけたり、食べるラー油をぶっかけたり、味変しながら頂いたのだよ、キミ。
どーん。
アヒルちゃん???
ほい。
そんなわけで、本日は、実は長女の幼稚園の参観日だった。
上の得体のしれない物体は、そんな長女の教室に飾ってあったもの。
いや、むしろ、鳥ちゃんの造形をしっかり捉えた秀作なだけに得体の知れないは失礼な話かもしれないが……。
もとい、そういう流れに持っていきたいわけではなく、つまり、長女の通う幼稚園ではお勉強の時間というわけではないが、「俳句を覚えたり」、「漢字絵本を読んだり」、「ピアニカを習ったり」と、園児ながらも何気に結構な任務が課せられていたりする。
今年の参観で感じたことは、昨年までは学習といってもほんの序の口のようなものであり、園児のほとんどが同じような感覚でそれらの学習を習得していたのだが、一年経つとこうも変わるのか! というくらい、園児それぞれの習得率がまったく異なっていることがわかったのだ。
園風としては、特に覚えることを強要するわけではない上に、本格的な勉強は小学校からで十分なので、幼稚園では遊びながらそういうことを覚えてみようというテイストなため、習得率が違っていてもまったく構わないわけだが、それでもビックリするくらいに完璧にマスターしている子を見ると、「天才ってホントにいるんだな」と感じずにはいられなかったりする。
雨ニモマケズ風ニモマケズ………
……ソウイウモノニワタシハナリタイ。
全部覚えてんのかよ!
と、思わずツッコミそうになるほど、パーフェクトな宮沢賢治を披露してくれたり、パッと漢字を見ただけでその俳句の全文を完璧に朗読したりと、神童っぷりをいかんなく見せてくれた女のコがいたのである。
我が家の長女は特にこれといって可もなく不可もなしだったのだが、それでもね、どんなに天才っぽかったり、ひたすらがんばって覚えたんだろうけれどもね、私的な感覚で物申させて頂くならば………
どん。
一番可愛いのはウチの姫!
うむ。
そう、園児に大切なものは、「可愛さ」、「無邪気さ」、「子どもらしさ」の三拍子だけで十分だろう。
今この時期に、天才天才と騒がれて、周囲の期待を一身に背負ってしまうと、あとが続かなくなってしまった時がさぁ大変、その期待と現実のギャップを埋められずに、潰れていってしまう可能性は大いにある。
むしろ過去にそんな友人がいたような気もする。
つまり、早熟の天才ほど堕ちる時はまっさかさまにとことんまで堕ちていく……なんてザラにある話なのだ。
と、そんなことを感じながら、参観を終えて会社で仕事をしていると、突然冒頭のママちゃんの絵が送られてきたのであり、次女にかんしては「天才かも‼︎⁇」なんぞと調子に乗った親バカぶりをアピールしまくった挙句、だからと言って途中からは、「天才ってどうなのよ⁉︎⁇」みたいな切り口に変わってみたり、とにかくパパちゃんのスタンスがブレブレのため、結局何が言いたいのかわからない展開に申し訳ない気持ちでいっぱいである。
ただし、ひとつだけ……実は次女が描いたママちゃんの絵の直後にもう一枚、パパのことを描いてくれたという絵もあったそうで、ママちゃんの絵にものすごい感心をしながら、「この子は天才かも!」と思った直後にこんな絵が送られてきたのである。
どーん。
虫か!
木とかにぶら下がって、蛹から羽化しようとしている虫なのか!
どん。
どん。
いや、やっぱり天才かも⁉︎⁇