昼飯→冷やしかき揚げ蕎麦
夜飯→冷や奴、サラダ、ごぼうサラダ、コロッケ
飲物→生ビール、レモンサワー数杯、水、飲むヨーグルト
仕事→某アイドル雑誌の編集、某トラブルもろもろ対応、デザイナーさんと打ち合わせ
どん。
はい。
というより、徹夜で仕事をしていたら友人からお誘いの連絡が……。
始発で新宿までぶっ飛んで行き、ガーっとお酒を飲んで応援して、試合終了と共に会社へトンボ帰り、そして軽く仮眠をとってさっそくばりばりトラブルに対応して、テンヤワンヤで一日がめまぐるしく終わるという、トンデモない弾丸ツアーを実行していたわけなのだ。
でも…………。
負けたーーー‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎
食べます。
デカいスクリーンでの観戦と、アルコール飲み放題、プラスちょいとしたオツマミで3000円。
この他にはフィッシュ&チップスとスナックたちが登場。
小腹が空いていたのでガッツリ頂いた。
できたてアツアツのかき揚げと大量の薬味たちが絶妙に絡み合い、至福。
コレ書きながら写真見ていたら、また食べたくなった。
冷や奴のあまりにもセンスのない盛り付け方に注目。
ホントは、ひとつひとつにワサビや納豆、生姜など、別々のトッピングを載せて、美しく並べて写真を撮りたかったのだが、途中で色々と面倒になり、諦めてこのような品のないスタイリングになったというわけだ。
そして、100円ローソンだからなのか、まったくもって美味しくニャイ。
ピピー!
そんなこんなで日本のW杯は早々に終わってしまった。
だが、前半ロスタイムに一点返した際の会場のテンションは物凄いものがあり、こんなふうに人々を熱くさせてくれるサッカーというものは本当に素敵だな、と柄にもなく素直に感じ入っていた。
コレで勝っていたら相当な感動が得られたのだろうと思うと、やはり悔しくて仕方がないけれど、世界との壁はまだまだ厚いことが痛感できただけでも得るものはあったと思いたい。
1998年は、初出場の洗礼を受け惨敗。
2002年は、開催国の地の利による初の決勝トーナメント進出。
2006年は、最強世代を擁しても太刀打ちできずに惨敗。
2010年は、勝つためのサッカーに徹することで決勝トーナメント進出に成功。
そして2014年は、日本サッカーとはこうあるべき! という信念を持って挑み、それでも歯が立たないことが証明されてしまったのだ。
だが、今回の日本はある意味スタイルが確立されつつあっただけに、対戦国から相応の研究をされていた。
以前のW杯ならば、むしろグループ最弱というレッテルを貼られ、特に研究されることなく真っ向勝負で蹂躙されていたように思う。
つまり、研究され尽くされて、ウィークポイントを徹底的に突かれることで惜敗した今回は、それだけ他国からリスペクトされていたとも捉えることができるのだ。
要するに、多少贔屓目にはなるが、「日本を侮っていると喰われるぞ!」と世界が認め、W杯常連国として認識されつつあるのではないかと感じたということ。
日本代表は確かに着実にステップアップしてきてはいる。
けれども、敗戦は敗戦なだけに見つめ直さなければならないことも多々あるだろう。
辛口でおなじみのセルジオ越後氏が言っていた。
「いまや日本代表は純然たるサッカーの代表チームではなく、興行的、ビジネス的な役割を大きく担わされている。選手は必要以上に持ち上げられ、弱い相手に対する親善試合で虚構の代表チーム像が作られていく。コンサート会場のような代表戦の雰囲気は、本当にサッカーを後押しするものだったかね。協会、メディア、スポンサー、ファン。それぞれが、日本代表というものを、もう一度見直すべき時がきているということじゃないかな。この敗戦は、変わるチャンスなんだ」
なるほど、お気楽ムードを作り出し、自らの媒体の売り上げや視聴率をあげたいと目論むマスゴミ的なマスメディア、ただただお祭り騒ぎがしたいだけのファンとも言えぬ輩ども、そして何より強化試合と言いながらもあくまでも興行としてのサッカーを実行し続けてきた強化委員会、責任はそれらすべてにあったのだと認識し、今一度クリアな状態で新たなる旅立ちの時を迎えるべきなのかもしれない。
かつて日本代表の正ゴールキーパーだった、川口能活の名言にこういうものがある。
「世界には富士山より高い山はあるけれど、富士山より美しい山はないと俺は思っている。サッカーでもそうありたいよね。日本よりサッカーが強い国は何十とある。でも、いつの日か、日本のサッカーは真似が出来ないほど美しいと言われるようになりたいんだ」
4年後の2018年、ロシアで開催されるW杯では、「日本サッカーここにあり!」と、全世界の人々を感動の渦に巻き込めるほどの衝撃を期待したい。
日本のフジヤマから世界のフジヤマへ。
目覚めの時はまさに今だ。
どどん。