朝飯→昨日の残りのご飯、納豆ご飯、キャベツの味噌汁
昼飯→お弁当の残りセット、麻婆茄子
夜飯→安い牛肉のスタミナ炒め、マカロニサラダ、夏野菜のソテー サルサソースがけ
ドリンク→午後の紅茶 おいしい無糖、プレミアム350ml×2本
仕事→某アイドル雑誌の編集、某歴史本の編集
どん。
納豆、ネバってます。
はい、そんなわけで、本日はどしゃ降りー。
ちょうど登園の時間帯に、夕立のような雷雨が降り注いできていたため、正直、心が折れそうになり、長女と2人でサボってしまうかなどと、父親としてはあるまじき考えを巡らせてしまっていた。
とはいえ、そんなわけにもいかず、自転車に乗り込み、お互い傘をさすという荒技を披露しながら、豪雨の中を疾駆。
意外にもビショ度はそこまで激しくなく、雨天時の送りもチャリがあれば問題ないことが立証された。
では。
なんだかよくわからぬが、にんじんのが美味かった。
長女のお弁当の残りプラス麻婆茄子やらコーンスープやら。
麻婆茄子での白米がたまらんかった。
安い牛肉のスタミナ炒めとマカロニサラダと夏野菜のソテー サルサソースがけ。
夏野菜、イイ。
エリンギとサルサソース、イイ。
やっすい牛肉も意外なほどに、イイ。
いえす。
実はタイトルにあるように、言いたいことがひとつある。
なんとなんと、あの伝説の性教育アニメ「ふしぎなメルモ」が、テレ東にて再放送をしているのだ。
長女に朝からメルモが見たいと言われ、なんのことやらと思っていたら、録画された第一回目の放送を見させられた。
実際、わたくしが幼少時代はタイミング的にも再放送とかともズレており、知識としては知っていたが、しっかり見たのは初だったのだが………。
なんつーエロス!!!!!!
なんつーぶっ飛び!!!!!!!!
さすが手塚大先生と唸らずにはいられないが、トニモカクニモとんでもねぇ。
冒頭で母親が死んでしまうのにもビックリだが、若返るキャンディー飲んだら受精卵にまで戻ってしまったり、幼い弟のために成人した姿になって母親のふりをして一緒にお風呂に入ったり、しかもその変身がバレて泣きわめく弟を、元の幼い姿に戻ったメルモが裸のまま抱き締めたり、大人メルモのパンツは常に丸見えだったり………。
い、イイんすか?????!
シズカちゃんのパンツも禁止した教育委員会的には、コイツはアリなんすか??????!
確かに当時のアニメには、子ども向けながらさりげないエロスを醸し出しているものが多々あり、わたくしも「エスパーまみ」のヌードやら、「リボンの騎士」の男女入れ替えやらに、やたらとドキマギさせられた記憶はある。
そして、それらのハレンチなものが、抑圧され、徐々に淘汰されていったことも十分承知しているが、無理矢理エロスを規制することは、正直、社会にとってはイイことだとは思っていない。
人は、タブーや抑圧には、逆に抗いたいという気持ちを持つ生き物だし、何より隠されれば隠された分だけ、イケナイものになってしまう。
けれども、性はイケナイものではなく、むしろタイセツなものであるわけで、生き物として誕生したからには、切っても切り離せるものではない。
まぁ、裏を返せば、そうやって隠されに隠されてきたからこそ、日本のエロは海外とはまったく違う、雰囲気的なイヤらしさがあり、ムッツリであるからこそ、フェティシズムが細分化され、それが日本の文化でもあり、わたくし自身もそういう日本的エロスは好きではあるのだが、よくよく考えればとてつもなく暗くて陰鬱。
本能的な話でいけば、欧米の感覚の方が動物的でストレートであり、本来あるべき姿なのだろう。
日本の場合、ムッツリだからこそ、アニメや漫画がここまで文化として根付いているわけで、イイ言い方をすれば、海外にはない"情緒"や"風流"が日本のエロスの中にはあるのだ。
ちなみに、今のわたくしの論には矛盾もはらんではいるが、だからこそ、ある程度の"隠し"には賛成であり、抑圧も完全悪とは言い難い。
しかし、近年の抑圧の仕方はちょっとイキすぎなのかな、と感じていただけに、テレ東ぶっ込みには感動した。
メルモ、すげぇ。
途中に入るナレーションでの性に対する解説には、思わず爆笑してしまったが、それでも学校の保健体育なんかより、よっぽどわかりやすくて良いのではないか?
手塚作品には衝撃ばかりを受けてきたが、魔法少女にまで、こんなとんでもねー発想をしていたとは、やはり神のあだ名はダテではない。
しかも………。
どん。
美容サプリメントとまでコラボってます。
うまい!
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