朝飯→カレーライス
昼飯→お好み焼き
夜飯→九州系居酒屋にて
ドリンク→生ビール2杯、レモンサワー何杯も、九州のなんたらという焼酎ロック
どーん。
なんだかよくわからぬが、上野駅前に上陸していた変な生き物。
そんなわけで、本日は完全フリーデーということで、昼間から上野にて酒!
とにかく食って飲んで語って歌って踊って愚痴る!? 的な感じで、ひたすらストレスを解消し続けた。
なわけなので、食い物連打します!
お好み焼き。
上野は別にメッカというわけではない。
が、前回皆で集まった際に、とにかくお好み焼きを食べたかったのだが、食うことができずに未練タラタラだったこともあり、今回リベンジ。
しかし、気候はあまりの猛暑。
店内のクーラーも中途半端だったことで、鉄板からの熱気が凄まじく、肝心のお好み焼きは一枚だけに留まってしまった。
カラ館にて。
オニオンリングタワーとかツリーとかいうやつ。
わたくしは一口も食べなかったが、某デブ君がガッツリ食していた。
小粋な海鮮小料理屋にて。
なかなかなお値段のする店だったので、刺身と焼きはまぐりだけで一杯やって退散。
値段の割には????という感じだった。
九州系の海鮮居酒屋にて。
お通しが明太子食べ比べという、とてつもなく嬉しい心遣い。
塩くじらとうまかった刺身。
酢味噌がたまらぬ。
九州尽くし盛り。
左下のが、ウワサの人文字ぐるぐるという料理。
五島産のアゴ出しで食べるしゃぶしゃぶ。
この出汁がたまらず、かなり食べてるにもかかわらず、肉をおかわりするというアグレッシブな展開。
そして、もちろん、シメはこれ!
久々に居酒屋系で感動したー(>_<)
はい。
そんなわけで、暴飲暴食です。
カラオケで消費したとはいえ、昼から食べ飲み続けていましたが、胃はそこまでおかしなことにはなっておらず、むしろ心ゆくまで満足させて頂いた。
ただラストの店、まずまずの美味しい料理を提供してくれただけに、ちょっとというか、かなり残念な点がふたつほどあった。
苦言を呈すので、あえて店名は言わないが、まずは酒と料理の出てくるスピードがとんでもなくノロいこと。
まー美味いものは……てなことはよく言われるが、そこまで豪語して客を待たせるほどか!? というのが正直なところ。
そして、何より二点目が強烈だ。
いわゆる会社というかその居酒屋のモットーなのか、格言的なセリフが飾ってある飲み屋は結構ある。
オヤジの小言的なものならば、江戸っ子風味なので、あぁ確かに! くらいですんなり受け入れることができるのだが、なにげに多いのは歯の浮くような偽善的なキレイっぽくてストレートな言葉。
そういうのを読むと寒気がしてしまうタイプなので、普段は読む気もおこらず、完全にスルーするのだが、今回はあまりにもデカデカとソレが書かれていたので、否が応にも読まざるを得なかった。
つまり、ソレは………。
どーん。
ブレブレですみません。
では、復唱してみましょう。
リピートアフターミー!
「愛する人を、愛したいだけ、愛せる日まで、愛してみる」
ど、どゆこと!!!!!!!?
正直、最初この看板を見て、酔っ払ってるとはいえ、頭の中には?マークでいっぱいになった。
この言葉を誰が作ったのか、ここの社長なのか、幹部なのかは知らないが、あまりにも日本語的にもぶっとんでいる名言というより、迷言であろう。
そんなわけで、ひとつひとつの言葉を解体し分析してみることにした。
「愛する人を」
ここはまだイイ。
というか冒頭だし、コレがないとはじまらない。
「愛したいだけ」
つまり、ココからおかしくなってくる。
おそらく、これは、「愛のキャパは無限大なんだぜ!」、「だからどれだけ愛したってイイんだぜ!」という意味で使おうとしているのであろうが、その後の文章を考えると、この解釈には無理があると疑問を投げかけずにはいられなくなる。
ひとまず、次を続けてみよう。
「愛せる日まで」
単純にこの文面だけ見るならば、イコール「死が2人を分かつまで」という意味でオッケーだろう。
ただし、これも直前の文面と繋げることで、キレイで美しいプラスなイメージではなく、マイナスなイメージとなってしまうのだ。
ひとまず、最後にいってみよう。
「愛してみる」
うん、それはそれでいんじゃない?
さぁ、ここで、本来ならば書き手が伝えたかったバージョンの解釈で全文を振り返ってみよう。
「愛する人を、愛したいだけ、愛せる日まで、愛してみる」
解釈→あゝ、愛しきキミ。私のアナタへの想いは無限大。常に膨張する宇宙のような私の愛を、いつまでもいつまでもアナタに捧げ続けます。死が2人を分かつまで」
まぁ、重いし、キモいな。
ただし、おそらくこの店側の意図はそういうことだろう。
これが響くか響かないから置いておいて、ここからがわたくし的な解釈となる。
「愛する人を、愛したいだけ、愛せる日まで、愛してみる」
解釈→あゝ愛しきキミよ。何らかのハプニングで私の愛が冷める日までは、私の想うがままに、とことんキミを愛せるだけ愛してみるよ。まぁ、ハプニングが起きないことが何よりだね」
うん、こんな感じでしょ。
つまり、「愛せる日まで」という言葉は、言い換えれば、「愛せなくなる日まで」ということになり、イコール死とも言えるのだが、イコール愛が冷めた瞬間とも言えてしまうのだ。
だからこそ、その前の「愛したいだけ」も、自分本位なご都合主義であり、一方的な愛の形という解釈にも繋がってしまうわけだ。
穿ちすぎ?
斜め上から見過ぎか!?
と、思われるかもしれないが、そもそもかなり中途半端で回りくどい言葉だからこそ、読む人に誤解を与えるのであり、そう考えると、この迷言を堂々と飾っているこの店に対しても、なんともいえない世知辛い気分がわきおこってきてしまう。
う、美味いのに……。
よ、余計なことしなきゃイイのに……。
てことで、くどくどくどくど文句を垂れてきましたが、それなら、お主はどう表現するんだ!? と言われそうなので、最後に私から一言プレゼント!
………。
いや、ダメだ、お、落とせない……。
つーわけで、散々文句言って終わりという、完全丸投げ状態で逃走します。
しかし、愛っていったい何なんだろう?
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