皆さまこんばんは、獅子狩です。
本日は、いかがお過ごしでしょうか?
今日は少し思い立って、あるゲームのことについて記事を書こうと思います。ネタバレの危険がありますので、その点だけはご了承ください。
タイトルの通り、『DRAGONQUEST V 天空の花嫁』(以下、ドラクエV)です。これはリメイクされたプレイステーション2のソフトパッケージですね。『DRAGONQUEST』といえば、多くの方が聞いたことのあるタイトルだと思います。この『DRAGONQUEST』シリーズは、基本的にどのシリーズでも「勇者と呼ばれる特殊な血筋や能力を持つ主人公が、悪しき魔王を倒す」というストーリー展開をしています。
ですが、このドラクエVは少しほかのシリーズと違うのです。
先ほどあげたパッケージの、紫ターバンの男。彼がこの作品の主人公です。デフォルトネームは「トンヌラ」や「アベル」とされています。ゲームをよくされる方ならすでにお分かりかもしれませんが、この主人公の恰好は勇者らしくありません。
紫のターバンや逞しい腕はいいとして、彼が持っている武器は剣ではありません。勇者にもいろいろありますが、多くの勇者は剣を装備しています。斧でも、杖でも、鞭でも、槍でもなく、剣なのです。
そう、ドラクエVの主人公は勇者ではないのです。
「主人公が勇者ではない」ということは、ゲームをした当初かなり衝撃でした。同シリーズの他の主人公たちが皆一様に勇者だったため、無意識に「主人公は勇者」だという思い込みがあったのです。
物語序盤、まだ幼い主人公は「さらわれた主人公の母」を、父とともに探しています(ドラクエVでは、主人公が「母を探す」ことが終盤までの大きな目標として設定されています)。幼い主人公は父と悲しい別れを経験したのちに青年になり、幼いころに父と一緒にいた村の洞窟で、父が見つけた勇者の剣と父の手紙を発見します。父の手紙には、父が勇者の剣を装備できなかったことが書かれており、そして父同様、主人公もまたその剣を装備することができません。
そのうち主人公は青年になり、途中で女性と結婚して男女の双子を授かります(その結婚エピソード自体にもかなり深い物語があるのですが、そこは割愛)。その双子の男の子の方が、この作品内での勇者になるのです。サブタイトルの「天空の花嫁」とは、勇者の血を引いた女性のことだったのです。
勇者は父でも自分でもなく、自分の息子だった。それを知ったとき、主人公が一体どんな気持ちだったのだろうと今でも考えます。作中では「はい」か「いいえ」しか言えない主人公の心中は、ゲーム内では決して語られません。また双子として一緒に生を受けたのに、自分ではなく片割れだけが勇者となった双子の娘の心境も複雑だろうと思います。
このドラクエVには「たとえどんなに強くても、たとえどんなに自分がそうでありたいと思っても、誰もが勇者にはなれない」という、主人公や主人公の父、娘のやりきれない思い、選ばれなかったものの気持ちというものが深く詰められていると思うのです。
ゲームをするとき、人はゲームの主人公に自分を重ねることが多々あります。勇者と呼ばれ、「世界を救えるのはお前しかいない」と言われる、そんな唯一無二の貴重な存在として扱われます。
しかしドラクエVでは「お前は勇者ではない」と真正面からいわれることになるのです。ですが、ここには「誰もが勇者にはなれないかもしれない、だが誰もが自分自身として強くなれる」というメッセージがあるように思います。ドラクエVの主人公は、確かに勇者ではありませんでした。ですが勇者である息子と肩を並べ、妻や娘や仲間たちとともに最終決戦に挑みます。勇者でなくとも、誰もが前へ進めるのです。
このことを感じてから、『DRAGONQUEST』シリーズの中ではドラクエVが一番好きになりました。
最近、忙しくてあまりゲームに熱中できなくなってしまったのですが、ふとドラクエVのことを思い出し、こうして記事を書いてみました。時間が取れたら、獅子狩はまたドラクエVをプレイしなおしたいと思います。
もし興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、ぜひとも一度プレイしてみてください。
スーパーファミコン版がオリジナルですが、プレイステーション2、3DSでプレイしやすいリメイク版が出ています。
それでは、長くなってしまいましたが今回はこの辺で('w')ノシ