経済的には、真ん中より少し下の家庭の長男として
生まれました。
1学年下と3学年下の妹がいました。
現在の学校制度で言えば、父は工業高校卒、母は中
学校卒(義務教育だけ)になります。
両親の希望は、子供三人を4年制大学卒にしたいで
した。
父は、札幌駅の東隣の苗穂駅に隣接した苗穂機関区
で蒸気機関車の機関士でした。当時は国鉄。
北海道支社採用者は、おおむね3年ごとに転勤し、
出世します。
父は、転勤を拒否して、定年退職まで、苗穂機関区
の蒸気機関車の機関士でした。
転勤拒否の理由は、子供の教育です。
北海道では、当時も現在も、札幌圏(札幌市と通勤
通学可能な近隣市町村)と札幌圏外で、教育格差が
あります。
「子供の教育 ≒ 私の教育」でした。
小学校と中学校は札幌市立、高校は北海道立と、
公立でしたが、先生に恵まれたと思います。
父が転勤拒否したので、私と妹は、転校したこと
がありません。
中学以来の友人の父親は京大卒で国鉄本社採用の
エリートでした。友人が小6になる時、広島から
札幌に来て、中3になる時、本社に戻りました。
友人に言わせると、転校は不安を伴うようです。
親は私の教育に最もカネをかけましたが、金持ち
に比べると、大した金額ではありません。
しかも、下記の厳しい条件がありました。
①高校までは公立
②大学は国立、私立は不可
③自宅外は東大のみOK
④東大が無理なら地元の北大へ行け
⑤浪人は不可
⑥受験は1校だけ
中学受験、高校受験、大学受験の子供がいる方も
少なくないと思いますが、上記の条件を厳しいと
思いますか?
上記の条件をクリアしたので、東大で博士号を取
得できました。
そのためには、小学校学習内容を小4終了時に終
え、中学校学習内容を中2の夏休み前に終え、東
大受験科目を高2の夏休み前に終えました。
浪人できないので、合格ではなく、上位1割以内
での合格を目ざしました。
東大紛争で入試が中止になり、止む無く、地元の
北大に入学しました。
学部を自宅通学可能な北大にしたので、博士課程
まで行けたと思います。
当時、国立大学の授業料は安く、修士と博士で5
年間の仕送りに最もカネがかかったと思います。
しかし、私立中高一貫校や東進衛星予備校などで
学んだ人よりは、安上がりで済みました。