英検1級に合格しても、英語はコミュニケーションの

道具に過ぎないので、教養力が低いと、作るモノが無

いのに高価な電動工具を持っているようなものです。


日本で外国人と話す場合、

①在日外国人

②仕事で来日した外国人

 仕事にはビジネス、留学、視察、研修等を含む

③観光で来日した外国人

のいずれかで、話の内容が異なります。


また、日本語の能力や日本に関する知識によって、話

の内容が異なってきます。

日本語の「話す(speaking)」と「聞く(hearing)」は

できても、漢字が混りの文章を「読む(reading)」と

「書く(writing)」ができる外国人は少ないです。


印象に残っている質問は、以下のとおりです。

01   四国は四つの県があるから四国なのか?

九州は7県、沖縄を加えても8県なのに、どうして

九州なのか?

中国は5県あるけど、中国人移民が多いからか?


この方は、かなり日本語の文章を読めます。現在の

日本語の日本地図も分かります。

「県」は明治維新後の廃藩置県によるものです。


都道府県に当たる旧国名は、701年に文武天皇の名

で公布された大宝律令によるものです。地方制度は

国、郡、里の三段階で、トップは国司、郡司、里長

でした。

四国は、阿波、讃岐、伊予、土佐の四つの国に由来

しています。

九州は、筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日

向、大隈、薩摩の九つの国があり、これらを統括す

る中央の出先機関・太宰府がありました。

中国は、畿内(近畿地方)と九州の間(あいだ)に

ある国々という意味だと教えました。


02   武士(サムライ)の起源

天皇を頂点とする少数の貴族と大半を占める農民の

社会に武士が生まれた理由や事情は?


元々の武士の仕事は、貴族の警護でした。

貴族は一夫多妻だったので、必然的に妻子や子孫が

増えます。

天皇家も母親の身分が低い親王に「平」や「源」の

姓を与えて臣籍降下させました。

面倒見てやれないから自活していけということです

ね、笑い😆

有力者は開発領主になり、領地を守るために武装し

ました。平時は農作業に従事し、戦時(領地争いや

水争い)は兵士になります。有力者を大将とする武

士団が各地に誕生しました。そして、多くの武士団

を配下にした武士の棟梁が出てきます。


豊臣秀吉の兵農分離後、また、徳川政権の幕藩体制

において、平時の武士は行政官、戦時は将軍や藩主

を大将とする軍人でした。平時は、役職に就けない

者が幕府にも藩にも少なくなかった。


03   サムライと忍者🥷の違いは?

武士(サムライ)は、平時に行政官、戦時に軍人で

ある。

忍者は諜報機関に属するスパイであり、平時にも他

の藩に潜入して情報収集した。戦時には非合法な破

壊活動をする。忍者はスパイであり、007のような

存在である、🤣


04   明治維新(1868)から半世紀も経たないのに

日清戦争、日露戦争に勝利できた理由は?


05   明治維新(1868)から半世紀も経たないのに

工業化(産業革命)に成功した理由は?


維新後の①富国強兵、②殖産興業、③文明開化、の

ある意味で集中投資。1872年の学制発布で、1875

年には全国に24,000余りの小学校ができた。

維新前に5万以上の寺子屋などがあったことが近代

教育を後押しした。

1886年には、尋常小学校4年が義務教育化された。

標準語による小学校教育は、軍人教育、工員教育に

も効果的だった。

また、外国人教員の採用、日本人の留学を進めた。

1877年には東京大学が設置された。

産業育成は、官営工場を作り、軌道に乗ると、民間

に払い下げた。

繊維産業や食品加工などの軽工業の産業革命は、日清

戦争を挟む1890年代、製鉄などの重工業の産業革命

は日露戦争を挟む1900年代に終わった。

ただし、軍艦や兵器の製造は、戦争になれば、欧米諸

国からの輸入が困難になるので、国産化を目ざした。

日本海軍が創設された時、艦艇は幕府や諸藩が外国か

ら購入したものばかりだった。

最初の国産軍艦清輝は排水量900トンだったが、47

年後には排水量が3万トンを超える世界最大(竣工

当時)の戦艦扶桑を完成させた。

「扶桑」は、歴史書「扶桑略記」があるように日本

全体を表す美称です。二番艦は山城と命名されまし

たが、京の都があった旧国名「山城」に因んだもの

です。




排水量

主砲

1868

明治維新



1876

初の国産軍艦

清輝

900

トン

15cm単装砲

1門

1894

防護巡洋艦

橋立 註1

4,210

トン

32cm単装砲

1門 

1907年

装甲巡洋艦

筑波

13,750

トン

30.5cm連装砲 

2基4門

1914年

巡洋戦艦 

比叡 註2

26,700

トン

35.6cm連装砲

4基8門

1915年

戦艦 扶桑

31,000

トン

35.6cm連装砲

6基12

註1 1番艦松島と2番艦厳島は設計者のエミ

ール・ベルタンの祖国フランスで建造された。

橋立と合わせて日本三景に因んで命名された。

当時の戦艦の主砲30.5cm砲を超える32cm砲

を搭載したが、発砲すると船体がグラつく欠陥

艦だった。これ以降、フランスに軍艦の発注は

されていない。

註2 1番艦金剛は技術導入のため、イギリス

で建造された。日本海軍最後の外国製軍艦にな

った。


下が戦艦扶桑(第二次改装後)、上は2番艦山城