3月23日16時45分〜17時、時代劇専門チャンネルの

「歴史を訪ねて 日本の城 関東・甲信越編3」で、

以下の四つの城が紹介されました。


①小諸城(長野県小諸市)

1554年に佐久地方統治の拠点として、武田信玄の命

で、軍師の山本勘助が縄張したとも伝えられる。

1582年の武田家滅亡後は、不安定な政情にあった。

1590年の豊臣秀吉の小田原征伐後、仙石秀久により

小諸城と城下町が整備された。1702年に譜代大名の

牧野家が入封し、明治維新を迎えた。1626年に三層

天守閣が落雷で焼失後、再建されなかった。

遺構は、重要文化財の大手門と三ノ門、天守台、石

垣及び空堀である。日本百名城28番。

上田城とともに一度は行ってみたい城です。


②新発田城(新潟県新発田市)

1597年に溝口秀勝が6万石で入封し、既存の新発田

城を修復、整備した。

遺構は、櫓、長屋、門、石垣、土塁、堀である。

再建造物は、三階櫓(2004年)と辰巳櫓である。

日本百名城31番。


③忍城(埼玉県行田市)

1478年に成田氏が築城し、代々の居城だった。

1590年の豊臣秀吉の小田原征伐で、石田三成が大将

として攻めたが、落城しなかった。しかし、後北条

氏の本拠地小田原城の開城(降伏)により、忍城も

開城した。城主の成田氏長は小田原城に籠城してい

たが、成田家は除封された。

幕藩体制下、江戸に近いこともあり、忍藩は十万石

前後の親藩または譜代大名が藩主となった。

続百名城の118番である。

遺構は、土塁、堀、移築門である。

再建造物は、櫓と模擬門である。


④逆井城(茨城県坂東市)

15世紀に小山氏の一族が逆井氏を名乗って、周辺を

支配していた。逆井氏は古河公方方だったが、対立

する小田原を本拠地の北条氏に攻められ、1536年

に落城し、北条一族の支配下に置かれた。

1590年の豊臣秀吉の小田原征伐により、逆井城は

廃城になった。

遺構は、土塁、空堀、水堀、郭、井戸である。

再建造物は、櫓、土塀、主殿、櫓門、木橋です。