太平洋戦争において、防空体制は対空砲火、迎撃戦闘

機、レーダーでした。対空ミサイルはありません。


◼️対空砲

アメリカ海軍の対空砲は、遠距離を12.7cm両用砲、

中距離を40mm機関砲、近距離を20mm機関砲の

3段構えでした。

エセックス級空母は12.7cm両用砲12門(連装4基、

単装4基)、40mm機関砲68門(四連装17基)、

20mm単装機関砲65基でした。

アイオア級戦艦は、12.7cm連装両用砲10基20門、

40mm四連装機関砲15基60門、20mm単装機関砲

60門でした。


日本海軍の対空砲は、遠距離を12.7cm高角砲、近

距離を25mm機銃の2段構えでした。

中距離を受け持つ口径40mmくらいの対空砲を実用

化できなかったからです。

1941年8月8日に竣工の空母翔鶴と9月25日に竣工

の空母瑞鶴の対空砲は12.7cm連装高角砲8基16門、

25mm三連装機銃12基36門でした。

1941年12月16日に就役した戦艦大和の対空砲は、

12.7cm連装高角砲6基12門、25mm三連装機銃8基

24門でした。

1944年3月に就役した装甲空母大鳳は12.7cm高角

砲より新式の10cm高角砲連装を6基12門と25mm

三連装機銃17基51門でした。


米海軍の40mm機関砲はボフォース社製で、四連装、

連装、単装がありました。

日本海軍は中距離に適した機関砲を試作しましたが、

発射速度が遅いために対空砲として不採用になって

2段構えになりました。


日米の対空砲の決定的な違いは、マジックヒューズ

と呼ばれた近接信管でした。

従来の時限信管は、敵機に直撃するか、予めセット

した秒時に砲弾が炸裂しました。

近接信管は、敵機が一定距離内にいると感知したら

砲弾が炸裂するので、時限信管に比べて、撃墜率が

飛躍的に向上しました。12.7cm両用砲弾と40mm

機関砲弾に近接信管が付けられました。

日本は時限信管だけで、近接信管を開発できません

でした。砲弾発射に耐えられる真空管を開発できな

かったからです。米国のエレクトロ技術の勝利と言

えます。


◼️戦闘機

対空ミサイルの無い時代、敵機を撃墜する最も有効

な防空手段は、多数の戦闘機の投入でした。

エセックス級空母の搭載機は96機(艦上戦闘機48

機、艦上爆撃機24機、艦上攻撃機24機)でした。

半数を戦闘機にしています。

日本軍が特攻(日本軍機の体当たり)を始めると、

戦闘機を72機に増やし、爆撃機と攻撃機を各16機

に減らしました。


日本の空母は攻撃偏重で、戦闘機が少なく、爆撃機

と攻撃機を多く搭載してました。

真珠湾攻撃に参加した6隻の空母は、零戦18機ずつ

搭載してました。

第一次攻撃隊に各9機、第二次攻撃隊に各6機の戦闘

機を護衛に出すと、各空母には3機ずつの戦闘機が

残るだけです。真珠湾攻撃は奇襲であり、日本空母

機動部隊が米軍機の攻撃を受けませんでした。

しかし、米軍機の攻撃を受けた場合、18機の零戦で

6隻の空母を守ることは、後の珊瑚海海戦やミッド

ウェー海戦の結果から不可能です。


マリアナ沖海戦では、日本軍攻撃機の大半は敵艦に

取り付く前に米戦闘機に撃墜されました。


◼️レーダー(電波探知機)と無線電話

米軍のレーダーは、100km先の敵編隊を捉えること

ができたので、味方戦闘機を高性能無線電話で誘導

して、待ち伏せ攻撃させました。日本軍攻撃機は、

敵艦に取り付く前に大半が撃墜されました。


日本のレーダーは40km先の敵編隊を捉えましたが、

機数までは分かりません。また、戦闘機の無線電話

も雑音が多く、有利な位置で敵編隊を迎撃すること

ができませんでした。


スエーデンのボフォース社の40mm60口径機関砲は、

艦艇の中距離対空砲として、大活躍しました。