卒業式は、幼稚園、小学校、中学校、高校とありました。
現在、母校である札幌南高校の卒業式は、奇抜な衣装やパフォーマンスで、ローカル版ニュースで放映されることもあります。
私が卒業した時は、制服で、体育館では各クラス代表が校長先生から卒業証書を受け取り、教室に戻って、
担任の先生から一人一人が受け取りました。
当時、卒業式は3月10日でした。
国立一期校の入試が3月3日〜4日、二期校の入試が3月20日前後にあり、欠席者が2割くらいいました。
高校を卒業した1969年は、大学紛争で東大入試が中止になり、地元の北大に入学しました。大学紛争は北大
にも波及して、入学式会場が過激派に占拠され、入学式は中止になりました。
1970年代は、大学紛争の影響が残っており、1973年
に北大を卒業しましたが、卒業式は無かった。建築学科事務室で、氏名を書いた付箋付きの筒に入った卒業証書を受け取りました。3月24日付けでした。
同年4月に東大大学院修士課程に入学しましたが、入学式の案内はありませんでした。
入学同期には、東大紛争で留年したり、逮捕歴のある
人もいました。
修士課程は都市工学専攻を首席で修了しましたが、卒業式はなく、都市工学科事務室で、氏名を書いた付箋付きの筒に入った卒業証書を受け取りました。3月29日付けでした。
恩師の勧めで博士課程に進みましたが、入学式の案内はありませんでした。駒場の教養学部入学生は、東大創立記念日である4月12日に入学式があったかもしれません。
博士号を授与された時も卒業式の案内は無かったと思います。都市工学科事務室で、筒に入った工学博士の学位記を受け取りました。
事務長が「工学博士、おめでとうございます」と言うと、整列した職員が「おめでとうございます」と唱和したので、私は「ありがとうございます。長い間、お世話になりました」と言いました。
学位記は1981年3月20日付けでした。
そのあと、安田講堂へ行きました。
高校2年の1967年10月下旬、修学旅行の自由時間に本郷キャンパスへ行き、初めて安田講堂を見上げて、
必ずここに来ると誓ってから13年7カ月が経っていました。
小学5年になる直前の春休みに東大へ行こうと決めてから20年が経過してました。