一級建築士事務所を開設するためには、常勤の一級建築士が一人以上必要です。開設者や社長(経営者)が一級建築士である必要はありません。
建設コンサルタントを開業するためには、常勤の技術士が一人以上必要です。開設者や社長が技術士である必要はありません。
中規模くらいになると、会社の名称は別として、一級建築士事務所と建設コンサルタントを兼ねています。
2001年に教授になり、技術士試験制度が変わるので
技術士資格を取ることにしました。
技術士試験は、20くらいの細分化された部門と総合技術監理部門に分かれています。
総合技術監理部門の技術士は、大きなプロジェクトにおいて、複数の部門の技術士を束ねてまとめる役割を担います。
大学教授が試験に落ちるとカッコ悪いので、2001年
は、建設部門だけで受験しました。
多肢択一問題をたくさんやりました。
教授になる前、学会査読論文をたくさん書いたので、
記述式問題は自信がありました。ただし、学会査読論文では最後の方に結論を書きますが、技術士試験では
最初に結論を示し、その論拠を書くようにしました。
技術士試験はマス目の解答用紙に手書きなので、草稿
(下書き)用紙に結論、論拠1、論拠2、・・・と箇条書きして、行数を割り当てました。たぶん、制限字数の9割以上は書かないと、高得点は無理だと思います。
この筆記試験は、札幌市で受けました。
筆記試験に合格し、東京都で口頭試験を受けました。
口頭試験も合格でした。
筆記試験に合格し、口頭試験で落ちると、翌年は筆記試験を免除されます。
その年は、筆記で12%が合格し、口頭試験後の合格率
は8%でした。口頭試験自体の合格率は50%で、その年の筆記合格者の半分の6%に筆記免除者の合格者を加えると出願者の8%くらいになるようです。
翌年は、総合技術監理部門を受験し、こちらも合格しました。
合格発表から1カ月で、新年度になり、GW前にM社長と会食しました。Mさんは私より7歳上です。
私が北大建築4年の9月に東大大学院修士課程入試
(都市工学専攻)を受験した時のトップ合格者がMさんです。受験時はすでに一級建築士で、バンクーバーでカナダ人と設計事務所をやり、東京で都市計画コンサルタントもしてました。入試問題の都市工学総論や各論は簡単すぎます。英語で仕事をしてるので語学も高得点で、トップ合格しました。仕事をしてるので、必要な時しか東大に来ないので、私が学年代表になりました。Mさんが1年休学したので、私が首席で修士を修了しました。
Mさんは隣りの研究室でした。東大に来ると、私から前回からの話を聞き、特に急用が無い時は、飲み食いしました。いつもMさんの支払いでした。本来なら彼がすべき学年代表の雑用を私がした埋め合わせです。
私より7才上でしたが、相性が良かったこともあると
思います。大学助教授の時、夏休みにバンクーバーに
遊びに行った時、ブリティッシュ・コロンビア大学でMさんと私の日本人ペアとカナダ人ペアでゴルフのマッチプレーをしました。17番ホールまでイーブンでした。最終18番ロングホールで、私はピン横3mにツーオンしました。イーグルパットは、ボール1個ショートしましたが、楽々バーディーで、1アップで勝ちました。
このようにMさんとは、東大都市工修士課程入学以来の長い付き合いです。
M社長の会社は、一級建築士事務所と建設コンサルタントが2枚看板です。
建築設計部長、コンサルティングの部長と合わせて、
4人の会食しました。
M社長「コイツがねえー、M大学のO教授、都市工修士入学同期なんだ。一級建築士、技術士建設部門、総合技術監理部門、何でも簡単に受かる困ったヤツなんだよ。
とばっちりで、問題が難しくなり、ウチの(社員)が
1回、2回で受からんので、困るんだよ」
二人の部長は、M社長の発言に困惑した様子でした。
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