私に最もたくさんお年玉をくれたのは伯母(父の姉)です。誕生日祝や入学祝も同様です。
伯母は、婚約者が太平洋戦争で戦死し、戦後は独身を
貫き、地方銀行員で定年を迎えました。当然、子供は
いません。
伯母の兄の子供は三姉妹です。いずれも学業成績は良くありません。
伯母の同僚のKさんは、長男の学業成績を自慢のタネにしてました。伯母は私をタネに対抗?していたようです。
伯母は給料日のあと、毎月1回は自宅に来ました。
妹二人はお土産の菓子や果物を楽しみにしてました。
伯母の私の学業成績に関する関心は、両親を上回っていました。
だいたいの成績は、Kさんの長男を上回っていたので
伯母はとても喜び、満足してました。
特に喜んだのは、①公開模試で札幌地区100番以内に唯一の2年生だったこと、②札幌南高校3年で学年の
1番になったこと、③東大大学院修士課程に2番で合格して首席で卒業したことです。
Kさんの長男は、札幌西高校、北大、同大学院へ進学し、北大教授になりました。
政府系金融機関に勤務するようになってから、伯母が亡くなるまで、夏と冬のボーナスから送金しました。
伯母の亡くなった時、以下のことが分かりました。
*私の送金額の合計が百万円余りになっていた。
*伯母は私が送金したカネを1円も使わずに残しました。
*私が伯母に書いた手紙(送金時を含む)は、全て保管してました。
*死んだら、よし坊(私のこと)からもらったカネは
よし坊を返還して欲しいと遺言してました。
その結果、伯母の遺産相続の際、遺言にしたがって、
百万円余りを私が受け取りました。
しかし、私は伯母さんに使って欲しかったと思いました。