はっきり言えば、指導に値しない暴力です。

中学校は、生徒の自主性を尊重する校風で、総合的には満足しています。
一学年12クラスもあるマンモス校でした。クラス担任だけで36人になります。副担任は2クラスに一人で18人になります。校長、教頭、保健室や図書室の先生もいたので、校長以下60人以上いました。
生徒の成績が正規分布するように、60人の教師がいれば、先生の評価も正規分布します。5段階評価で1は
7%です。60の7%は、4.2 なので、少なくとも4人が評価1のダメ教師になります。
4人の内、二人は、以下に述べるように暴力教師でした。生徒の言い分を全く聞かずに暴力を振るいます。

私の場合、中3の時、体育教師の麻原と音楽教師の小佐野に理不尽な暴力を振るわれました。

◾️体育教師麻原
三年間、私の体育は、ほかの先生の担当でした。
中学校は、生徒による「週番制度」がありました。
5グループが交代で担当します。各グループは生徒会役員二人とクラス代表7人です。5週ごとに週番が回ってきます。普段より早く登校し、生徒玄関で遅刻した者から生徒手帳を預かります。放課後は、学内を巡回して用もないのに残っている者に帰宅を促します。
6月のある朝、横殴りの風雨が強く、遅刻者が70人余りいました。私は週番長、彼女が副週番長、クラス代表が7人いました。私は天候を考え、生徒玄関の入口を閉めず、生徒手帳を預かるのもやめました。
その時、麻原が通りがかり、「もう8時半を過ぎている。玄関を閉めて遅刻者から生徒手帳を取り上げろ」
と言いました。
私は聞こえないふりをして、自分が考えたようにしました。
すると、麻原が私に「お前、俺の言うことを無視するのか」と言いました。
私は「こんな雨降りに玄関を閉めたら、ずぶ濡れになります。それにあなたは、生徒会顧問でないから顧問の先生を通して下さい」と言いました。
すると、激昂した麻原は、私の前に来て「貴様、俺に逆らうのか」と言ってビンタを食らわせました。
私以外の週番と遅刻者70人余りの前です。ざわざわしていた生徒玄関がシーンとなり、私と麻原を見ています。2発目を覚悟しましたが、麻原は居なくなりました。生徒から拍手が起きました。
私は「生徒手帳を没収してたら授業に遅れるから早く
教室へ行け」と言いました。
麻原は陸軍士官学校在学中に終戦になり、師範学校
(今の教育大学)に入り直して、教師になりました。名前が「敏」で、「さとし」と読みますが、言うことを聞かない生徒を往復ビンタするので、あだ名は「敏太(ビンタ)」でした。
この件は、生徒会顧問の先生に報告しました。本気で
校長に話す気はなかったのですが、「校長や教育委員会に話す」と言うと、顧問は「校長云々は勘弁してやれ、麻原先生には俺から言っておく」と言いました。
麻原から謝罪が無かったので、廊下などで会っても挨拶せずに無視しました。麻原の方が視線をそらすようになりました。

◾️音楽教師小佐野
三年間、私の音楽は、女の先生が担当でした。
10月1日に生徒会執行部を2年生と交代し、私はクラス代表に任命されました。私は3年4組で、教室は音楽教室の隣りでした。音楽教室の入口には、音楽教室と書かれた標識がありました。
10月下旬のある日、この標識を剥ぎ取り壊した者がいました。小佐野が4組の教室に「音楽教室の標識を壊した者は誰だ」と怒鳴り込んで来ました。たまたま、
その時は何かの事情で、自習時間でした。音楽教室は
色々なクラスが音楽の授業の時、移動して来ます。
私は、クラス代表として抗議しました。
「先生は、私のクラスの者が壊したと決めつけてますが、音楽教室は他の組も来ます。私のクラスの者と決めつける根拠は何ですか」
小佐野は「なに〜い」と言って私の席に来て、持っていた指揮棒(音楽で指揮に使う)で、私の頭を叩きました。折れた指揮棒の先端は、私の斜め後ろの席の男子生徒の目と口の間に当たりました。
シーンとしていた教室は、騒然となり、数人が立ち上がりました。まずいと思ったのか、小佐野はすぐに出て行きました。
小佐野は合唱部の顧問でした。合唱の指揮に使う道具(指揮棒)で反論した生徒の頭を叩いて折るなんて、
音楽教師として、最低の男だと思いました。
この件については、既投稿に書いた中1の担任で大学区制対策室長で教頭研修を受けていたHU先生に報告しました。麻原の時と同様のことを言い、同様のことを言われました。
小佐野は3年2組の担任だったので、廊下などで顔を会わせることが多かったです。彼が謝罪しないので、
私は挨拶せずにじっと顔を見ました。小佐野は麻原同様に私と出くわすと、視線を合わせないようにしてました。
麻原も小佐野も生徒に謝るのは、教師としての面子が潰れるので、イヤだったようです。

上記の事件は、麻原事件が80人、小佐野事件が47人
の生徒前で起きたので、その日の内に学校中(先生と生徒のほぼ全員)へ伝わったと思います。

私の卒業と入れ替わりに3学年下の妹が入学しましたが、麻原も小佐野も居なかったようです。
札幌から田舎へ飛ばされたのかもしれません。
教師から受けた理不尽な指導


大坂谷吉行著「東大入試中止1969  ある受験生カップルの軌跡」

https://www.amazon.co.jp/dp/B07C784V7D/ref


Amazon50%オフの990円+送料で販売中


第1章 札幌市立美香保中学

 中3の一学期 pp.63〜72    麻原事件

 足早に過ぎ行く秋 pp.91〜94    小佐野事件

第2章    札幌南高校

第3章 北海道大学(北大建築)

第4章 東京大学大学院(東大都市工)


2019120日付け朝日新聞「天声人語」で

自費出版が紹介されました。


難関大学志望者及び両親は必読‼️