1 江戸時代の親藩、譜代、外様
江戸時代の大名は、親藩、譜代、外様に区分されました。
親藩は、基本的に初代家康の子孫ですが、家康の異父弟である久松松平家が含まれます。徳川を名乗ったのは、御三家と御三卿ですが、3代家光の弟忠長、4代家綱の弟綱重とその子綱豊(6代家宣)、同じく弟の綱吉(5代)で、その他は松平でした。
譜代は、家康が征夷大将軍になった時、家臣だった者が大名に取り立てられました。徳川四天王と呼ばれた
酒井、本田、井伊、榊原などです。
家康より前に枝分かれした松平家傍流も譜代とされました。
外様は、豊臣政権において、家康と同僚だった大名です。島津、毛利、前田、上杉、佐竹などです。秀吉の子飼いだった加藤や福島なども外様です。
2 東大大学院における親藩、譜代、外様
親藩は、東大の工学部都市工学科から大学院工学系修士課程都市工学専門課程に入学した者です。
学部と修士が、同じ専門(都市工学)の者です。
譜代は、東大卒ですが、学部と修士が同じ専門でない者です。
例えば、学部は土木工学科や建築学科で、修士が都市工学専門課程の者です。農学部造園学科から修士で都市工学専門課程に入った者もいました。
外様は、他大学から東大大学院修士課程または博士課程に入学した者です。
私は、北大建築学科から東大大学院修士課程都市工学専門課程に入学したので、外様でした。
私が所属した研究室の同期生3人は、外様でした。私のほか、京大建築学科からの者と京大土木工学科からの者がいました。
同期生16人の内訳は、親藩が7人、譜代が1人、外様が8人でした。
1970年代は、はっきり言えば、親藩、譜代、外様で、差別がありました。
3学年上の先輩(博士課程在学中)に「お前は外様だから修士を首席で卒業しても東大に(教員として)残ることはできない」と言われました。
大坂谷吉行著「東大入試中止1969 ある受験生カップルの軌跡」
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第1章 札幌市立美香保中学
第2章 札幌南高校
第3章 北海道大学(北大建築)
第4章 東京大学大学院(東大都市工)
2019年1月20日付け朝日新聞「天声人語」で
自費出版が紹介されました。
難関大学志望者及び両親は必読‼️