東日本大震災は、2011年3月11日14時46分に起きた

「東北地方太平洋沖地震」による災害である。


同地震は、三陸沖で起きた巨大地震(気象庁マグニチュード8.4)である。


大震災は、地震そのものによる被害と、大津波をよる被害に分けられるが、死者1万5千人余りの9割は大津波による溺死である。震災関連死と行方不明者を加えると、1万8千人余りになる。

建物の全壊・流失・半壊は40万戸余りだった。

ピーク時の避難者は47万人に達した。福岡第一原発のメルトダウンが起きたため、現在も4万人が避難生活をしている。


東日本大震災が起きた時、私は室蘭工業大学教授で、

都市計画や建築法規などの授業を担当していた。

都市計画の授業では、地震災害や都市防災についての講義もする。

2011年度から5年間、東日本大震災の被害調査と仮設店舗の調査をした。

対象都市は、岩手県釜石市を選んだ。

調査研究費を要求した時の建前は、室蘭市と同じ「鉄のマチ」としたが、実際は大津波で全壊、流失した釜石の「呑ん兵衛横丁」を再生したいと思ったからだ。


建物、特に住宅被害と仮設住宅(団地)の調査をする大学が多いので、私の研究室は小売店と飲食店の被害と仮設店舗の調査をすることにした。

2011年度と2012年度は、釜石市を対象に被害調査をして、調査結果を釜石市長に報告した。

地元の岩手日報に取り上げられ、近隣市町からの要請もあり、2013〜2015年度は、釜石市より北の大槌町、山田町、宮古市、南にある大船渡市、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町の被害調査、仮設商店街、仮設飲食店街の調査を行った。

これらの調査は、研究室学生の修士論文や卒業論文になった。

2016年3月31日に定年退職した。

その後、年に1回は被災地の復興状況を見に行った。

しかし、2020年と2021年は、コロナ禍で、行くことができなかった。



呑ん兵衛横丁も入った仮設飲食店街の案内看板