彼女と私が入学した札幌南高校は、公立高校ですが、北海道一の進学校です。


当時は一学年500人(50人×10クラス)でした。

現在は320(40人×8クラス)です。

旧七帝大+東工大+一橋大+神戸大+国公立医学部医学科の合格者合計は、全国で10位前後です。


彼女と私は中学で軟式テニス部でしたが、札幌南は軟式が無く、硬式テニス部に入りました。


当時、硬式テニス部のある高校は少なく、男子部と女子部はインターハイ全国大会の北海道代表になっていました。

朝練と称する授業前の練習もあり、雨の日を除いて日曜日も祝日も日没まで練習です。


5月の実力テスト、6月の中間テストが、終わった後、クラス担任に職員室に呼ばれました。


「東大志望なら2年前期末までに最低限、東大受験科目の教科書レベルを終えろ」と厳命です。

クラス担任は、東大理学部数学科卒業です。

6月末日に退部届を出しました。


彼女はテニスを続けました。2年生で全国大会に出場し、3年生は女子部主将で全国大会に出場しました。全国大会出場が彼女の目標だったので、

目標を達成しました。


私は、2年前期末までに終える為に勉強に集中しました。雨の日は、テニスの練習がないので、彼女の家に行きました。勉強の息抜きになります。

彼女のお母さんと含めて、3人で夕食を食べて帰宅しました。彼女と二人で外食したのは、全国大会出場決定のお祝いです。2年の時は高校の近くのお好み焼き屋、3年の時は蕎麦屋でした。


私の勉強は、予定より2カ月ちょっと早く、2年の夏休み前に東大受験科目の教科書レベルを終えました。そして、9月から3年生の校内模試を受けることになります。


彼女の成績は、悪くなっていきました。

当時、理科の物理、化学、生物、地学は、全て必修でした。高1は生物と地学です。物理と化学は2年と3年に並行して学びます。

彼女の最も苦手科目が物理でした。

北海道は冬休みが長いので、夏休みが8月31日まででなく、21日に終わります。


2年の夏休みが終わり、彼女の家に行き、インターハイ全国大会の話を聞きました。

彼女が席を外した時、お母さんが「物理がすごく悪いので、どうしたらいいのかしら」と言いました。

当時、30点未満は「赤点」で、5段階評価の1になります。学年末に1だと、単位が取れません。


彼女が戻ってきました。


「物理、すごく悪いんだって」

「そうなの。どうしたらいいのか、分からない」

「対策を考えるから、中間テストの答案と教科書を持ってきて」


中間テストの答案を見ると、お母さんが言うように、ひどい結果である。


「中間テストの範囲は?」

「エッ、知らないの?」

「中間や期末テストの為の勉強はするな、と言われているから」

「そうなんだ。中間はここまで。夏休み前にここまでやった」

「そうすると、期末は◯から◯までか」

「たぶん、そんなところかな」

「しょうがないなあ。僕が個人教授するよ。ビシバシね」

こうして、9月後半の前期期末テストの物理の個人教授を始めた。12月の後期中間、3月の学年末も同様である。


3年生になると、同じクラスになった。6月の中間テストは、インターハイ北海道予選前なので、

頭に入らないと思ったので、個人教授をしなかった。

7月末に全国大会が終わり、彼女もテニス部を引退した。

9月の前期期末テストから個人教授を再開した。

物理に加えて数学も教えた。

東大受験があるのだが、夏休み明けに学年の1番になり、彼女からファーストキスで祝ってもらったので、個人教授をやめることができなかった。


まあ、息抜きのつもりで教えていた。

不利益ばかりでもなかった。

彼女に上手く教えられない箇所は、私の理解が完全でないことが分かったからだ。


詳しくは、下記の自費出版本の「第2章 札幌南高校」を参照して下さい。