目標その4 大学の目標
高校3年生の1月20日に東大入試中止が決定した。
茫然自失だった。
しかし、1カ月で志望大学を決める必要があった。
しかし、東大のように入学後に進学振り分けまでに学部学科を決める大学は、地元の北海道大学だけだった。
北海道大学に入学して、進学先の学部学科を考えた。また、卒業後のことも考えた。
結論として、8月のお盆休みの頃、北大で建築学を学び、東大大学院修士課程から都市工学を学ぶことに決めた。
東大大学院修士課程の入試は、9月初めにある。
まだ、教養部なので、特に英語と第二外国語のドイツ語に重点を置いた。
高校の時、英語と国語で、後塵を拝したからである。国語をドイツ語に置き換えた。
東大大学院修士課程入試は、都市工学1、都
市工学2、英語、第二外国語の4科目で、第二外国語が100点で、他の3科目は各200点で、合計700点満点だった。筆記試験後に面接があるが合否に関係なかった。
語学が42.9%を占めるので、語学が悪くて不合格になることだけは避けたいと思った。
また、都市工学の勉強を始めた。
教養部の1年前期、後期、2年前期、後期で
英語が8科目、独語も8科目あったが、全て
優だった。他の教養科目は良が5つで、あとは優だった。可はゼロ。
希望どおり工学部建築学科に進学した。
たいていの学生は、教養課程が終わると、語学を勉強しなくなる。
高校で後塵を拝した苦い経験と語学力はブランクがあると低下するので、大学院入試までは続けることにした。
建築学、独学の都市工学、英語、独語を勉強するのは、かなりきつかった。
特に3年前期、後期は建築学の科目の大半が
必修科目だったので、きつかった。
4年前期になると、1日5コマの内、選択科目がだいたい2コマになり、都市工学と語学に時間を取ることができた。
当時、都市工学専門課程の修士定員は16人なので、上位20%以内で合格を目標とした。
3番以内である。上位10%以内にすると、トップ合格しなければならなく、プレッシャーになると思ったからだ。
面接の時、「ドイツ語であと5点取れば、トップ合格だったのに惜しかったね」と言われた。
修士課程の成績証明書の席次は、1と書かれていた。
なお、建築学科の席次は33人中3でした。
大坂谷吉行著「東大入試中止1969 ある受験生カップルの軌跡」第3章
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