1942年4月18日にアメリカ空母機動部隊から発進したB25による東京初空襲を受けた日本海軍は、
①太平洋の哨戒線を東に拡大する為にミッドウェー島を攻略する、②アメリカ空母を撃沈するを目的として、ミッドウェー作戦を実施します。

5月27日の海軍記念日に日本海軍の空母機動部隊である第一航空艦隊(南雲忠一中将)が日本から出撃します。
空母は第一航空戦隊の「赤城」と「加賀」、第二航空戦隊の「飛龍」と「蒼龍」の4隻でした。
護衛は戦艦「榛名」「霧島」、重巡「利根」「筑摩」、軽巡「長良」と駆逐艦12隻でした。

空母機動部隊の後方にミッドウェー島を占領する攻略部隊、山本五十六連合艦隊司令長官が坐乗する戦艦「大和」以下の主力部隊がいました。

日本時間6月5日1時30分、4隻の空母から108機(零戦36機、九九艦爆36機、九七艦攻36機)のミッドウェー空襲隊が発進しました。
ミッドウェー島基地の戦闘機の迎撃を受け、損害もありましたが、爆撃を終えます。空襲隊指揮官は「空襲は概ね成功するも効果不十分」と打電して、帰投します。

一方、ミッドウェー島基地の爆撃機や雷撃機が日本の空母を攻撃しますが、零戦が大半を撃墜し、
4隻の空母は無傷でした。