1905年5月27日〜28日に対馬沖で日本海海戦があり、日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に大勝利を得ました。
27日午後、連合艦隊の戦艦と装甲巡洋艦が敵艦隊の戦艦などに集中砲火を浴びせました。同日夜から翌日にかけての夜戦で、駆逐艦や水雷艇が魚雷攻撃しました。
明るくなって、戦艦や装甲巡洋艦が残敵を砲撃しました。
こうして、バルチック艦隊の大半を撃沈または拿捕しました。

その結果、艦隊決戦の勝利=戦争の勝利と考える
艦隊決戦至上主義に固まりました。
また、大艦巨砲主義が強まりました。
夜戦で小さな駆逐艦や水雷艇が魚雷攻撃で、戦艦などに損害を与えたことから、夜戦での魚雷攻撃を重視します。
優秀な士官が砲術科と水雷科に集まり、情報や補給は軽視されます。
そのツケが太平洋戦争の海戦で払わされました。

日本海海戦の大勝利を記念して、5月27日は「海軍記念日」となりました。1945年8月15日の敗戦により、帝国海軍は終焉を迎え、海軍記念日も廃止されました。