たくさんある。ありすぎて困る。
パソコンがいくら普及しようとも、本ほど時間も場所もとらず、自由で考える事が出来る。
電子ブックが出回ろうと、子どもには本をたくさん読ませたい。
自分の人生の中で象徴する本。
「百万回生きた猫」
それは 私が幼稚園のときに何度も読んだ絵本。
幼稚園の図書館に行っては、すみっこで、一日に一回読んでるのが
儀式のようだった。
人間は一人で生きられない、大人のためにあるような絵本。
子どものときは、どう感じて読んでいたかは覚えていない。
それから13年たち、保育学科に入学した。
絵本でも買ってみるかと何気なく本屋に行った。
絵本コーナーに立ち寄ると、この本が置いてあった。
「なつかし~」
ただ、それだけで手に取り、読み始めた。
泣けてきて泣けてきて。
オンオン泣きながら読んだ。
周りは「なんだ、この危ない女は」という感じだろうが、止まらないものは仕方が無い。
速攻で、その本を買い、家に帰ってまた、何度も何度も読んでは泣いた。
未だに泣けてくる。
それから、出会った友人にはこの絵本をプレゼントすることにしている。
友人達は自分の大事な人を失った経験がある。
傷口に塩を塗りこむようだが、逆に浄化が得られたそうだ。
泣いて泣いて済むものではないけれど・・・。
ある友人は「その人の事を思う時間が取れる」と言っていた。
誰でも、近い人でなくても、死に直面したことはあるだろうし、お葬式に一度は出た事はあると思う。
■絵本の前半■ 百万回生きる事は百万回死ぬ事。
■絵本の後半■ ただ、「最後の一回」に、「出会い」をした。
絵本の「受け取り方」「感じ方」が年齢や立場で変わっていく。
自分が女性なためか、主人公の「立派な どら猫」より、なびかない「白い猫」に共感が行ったりもする。
短大の頃は前半部分より、「自分が死んだら、隣にいるあの人はどうなるんだろう?」などと
後半重視で考えていた。
今の主人は再婚する。
必ず再婚する。
若くて綺麗で痩せていて家事がきちんと出来る人を選ぶだろう。
ゲンさんも若いお母さんになつくだろうな・・・。
自分が死んだら・・・とは思わなくなった。
そのかわり、絵本の前半のような「毎日」をとても大事に生きたいと願うようになっていた。