電車に揺られ会社に行き、黙々と入力作業の仕事を行い、
 また電車に揺られ帰るだけの何の印象にも残らない毎日が続く日々。
 少しだけため息をつく。

 家に戻り、いつものように簡単な食事を済ませると、ポストに入っていたDMに目をやる。
 普段なら中身も見ずに捨ててしまうところだが、DMの表紙に書かれていたキャッチコピーに惹かれ封を切る。
 
「ポンポンポン、ポンポポンッ、あなたの美容と健康に、ポンポンポン、ポンポポンッ、寝る前一錠『ポポS錠』」
 
 封を開けると、楽しげなメロディーが流れた。凝ってるDMだなと思いながら中身を確認する。
 『ポポS錠』30錠一か月分サンプルプレゼント中、という文字が目に飛び込む。
 DMを読むと、一種の健康サプリメントらしい。
 本当に効くのかな?と思いつつ鏡を覗く。
 少し荒れた肌が気になる。
 明日会社の帰りに新しい化粧水を買ってこようと思い就寝した。
 ジリリリリ――
 久々に楽しい夢を見ていた私を、けたたましく鳴り響く目覚まし時計が、現実へと引き戻す。
 気怠く体を起こす。
 まだ少し眠いが、いつも通り会社へと向かう。

 会社へ向かう電車の中で今朝見た夢を思い出し、朝から少し憂鬱な気持ちになる。
 夢が楽しかった分現実に戻ったとき、夢でなければよかったと思うのだった。
 今日もとりわけだれかとの会話があるわけでもなく、いつものように灰色がかった一日が過ぎた。
 今日違うことといえば、帰の電車を途中下車をし化粧水を買いに行くくらいなものだ。
 
 家に戻ると、ポストには『ポポS錠』サンプル品と書かれた四角い小箱が届いていた。
 注文してないのにな?とは思ったが箱を手に取り部屋へ。
 箱の中を確認すると、説明書きとともにサプリメントの瓶が入っていた。
 説明書きには、DMを確認してくれたお礼と、サプリメントの使用方法が書いてある。
 DMを開くと自動的にサプリメントが送られる仕組みになっているらかった。
 就寝時、新しい化粧水を付けながら『ポポS錠』の瓶を眺める。
 説明書には一日一錠就寝前服用と書いてある。
 普通ならこんな怪しげなサプリメントは飲まないはずなのだが、
 仕事と、いつもと違う帰り道を通ったため疲れていたのかもしれない。
 気休めだけど、効果があればいいな。
 そう思いながら、これといって怪しみもせず一錠飲み込み就寝する。
 
 朝になり自然と目が覚める。
 目覚まし時計を見ると、アラームをセットしてある時間の15分ほど前だ。
 久しぶりの気持ちいい目覚め、机の上に置いてったDMに気が付き、昨日『ポポS錠』を飲んだことを思い出す。
 これが効いたのかな?と思いながら?鏡をのぞく。
 
「アッ」
 
 小声で短い悲鳴をあげる。肌荒れが消え、張りも出ていた。
 化粧水の効果なのか『ポポS錠』の効果なのかはわからないが、期待以上の効果に少し気持ちが上がる。
 こんなうきうきした気分はもう忘れていたかと思うくらい久しぶりだ。

 そんな気分のまま会社へ向かう。
 気分が変われば世界も変わる。
 いつものように入力作業をしているだけなのに、しぜんと鼻歌まで出てくる。
 そんな変化に気づいたかはわからないが、珍しく同僚から声がかかる。
 
「ねえ君、週末暇かな?今度みんなでBBQをやるつもりなんだけど、君も来ないか?」
 
 いつも誰とも会話もなく、こんな突然の誘いに少し驚いたが、
 
「ええ、楽しそうね。私も是非参加させてもらうわ。」
 
 二つ返事で答える。
 いつもならきっと躊躇してしまうのだろうが、今日はすこぶる気分もいい。
 灰色がかっていた世界が輝き始める。
 会社では同僚と楽しく会話し仕事もはかどる、週末のには出かけることも多くなった。
 充実した日々が続く。
 ―― BBQ当日 ――
 BBQを食べながらみんなと楽しい一日を過ごしていると。
 
「たのしんでるかい?もし君がよければ向こうに行って一緒に少し飲まないかい?」
 
 いままで、こんな誘いは経験がなかったため、すこし躊躇したが、
 
「そうね、そういうのも良いかもね。」
 
 みんなと少し離れて二人で話す。
 
「君、最近雰囲気が変わったね。」

「そうかしら?どんなところが?」

「そうだね、以前と違ってとても生き生きとしているよ。」

「そう?ありがとう。」
 
 ちょっとくすぐったいが悪い気はしない。
 景色を見ながら他愛もない話を続けていると、突然耳を疑う言葉が耳に飛び飲んできた。
 
「僕と付き合わないか?」
 
 予想もしなかった言葉に驚き、相手の顔を見続けてしまう。
 ハッと気づき、少し恥ずかしくなりうつむきながらなんて答えようと考えていると。
 
「今すぐ答えてくれなくてもいいよ、いつでも待っているから。でもいい返事だといいな。じゃあみんなの所に戻ろうか?」
 
 『ポポS錠』を飲み始めて人生がこんなに変わるんて思いもしなかった。
 みんなの所に戻る間もなんだか恥ずかしく話もできないまま歩いて行く。
 BBQも終わり家に戻り『ポポS錠』を飲み始めてから今日までを振り返る。
 『ポポS錠』を飲み始めて気分も体調も良くなり、夢のような生活へと変わった。
 こんなに良いものならもっと早DMが届けばよかったのに、贅沢な文句を考えながら、寝室へと向かう。

 『ポポS錠』を取り出そうとするが瓶にはもう残っていないことに気が付く。
 明日にでも注文しようと思い、その日は『ポポS錠』を飲まないまま就寝した。
 ジリリリリ――
 久々にけたたましい目覚まし時計の音に起こされ目覚める。
 体が少し重い。
 昨日のBBQで疲れたのかな?そんなことを思いながらふと鏡をのぞくと
 
「エッ?」
 
 久しぶりに小さな悲鳴を上げる。
 そこには一か月前の荒れた肌の顔が鏡に映っていた。
 『ポポS錠』をたった一日飲まないだけで、もとに戻ってしまうとは思わなかった。
 だるい体で会社へと向かう。

 世界は『ポポS錠』を飲み始める以前と同じ灰色に戻ってしまった。
 会社に着くと、ここ最近と違い誰が話しかけてくることもなく、黙々と作業をこなしていく。
 資料を取りに廊下を歩いていると昨日のBBQの時の彼が前を歩いていることに気が付いた。
 挨拶しておこうかな?と思い、後ろから声をかける。
 
「こんにちは。」
 
 彼は後ろを振り向き、少し驚いたようにこちらを見ながら、
 
「――ああ、こんにちは。」
 
 BBQでの告白の件があったから驚かせちゃったかなと思い。
 
「この前はごめんなさい。私ちょっと驚いてしまって」

「え?なんのことだい?」
 
 彼はさらに驚いた顔でこちらを見ながら言った。
 しかし、内心驚いていたのは私のほうだった。
 あんな告白を告げた相手に「なんのこと?」はないんじゃないかしら?
 そう思い少し困惑していると、
 
「すまない。少し急ぐからこれで失礼するよ。」
 
 そういうと、彼は去っていった。
 どういうことかしら?
 不思議に思いながらも資料室につくと、そこにはBBQに参加していたメンバーがいた。やはりお礼のあいさつをと思い、
 
「こんにちは。昨日のBBQは楽しかったです。また機会が有ったら――」

「え?」
 
 挨拶を驚きで遮られ、少し戸惑っていると、
 
「BBQとはいったい何のことですか?あなたとは今日まで話したこともなかったですよね?」
 
 これはいったいどういうことだろう?みんなが口裏を合わせて私をからかっているのかしら?
 しかし相手にそんな雰囲気はみじんも感じられず、
 
「失礼するよ。」
 
 と言い残し去って行ってしまった。
 少し混乱しながら、ディスクに戻ると、上司が構えており私の顔を見るなり、
 
「君、ここ一か月ほどぼーっとしてたようだけど体調でも悪いのかね?」
 
 私はこの一か月、仕事はもちろん同僚ともうまくやってたはずだ。
 そう思い、上司へ一か月の仕事の成果を見せようとファイルを開いた。
 しかしファイルには何もなく、どういうこと?と考えてる私に。
 
「給料分くらいはしっかり働いてくれなければ困るよ」
 
 それだけ言うと上司は自分の席に戻っていった。
 不思議に思い、隣の同僚に最近私がどのように過ごしていたのかと尋ねると、
 ここ一か月の間仕事もせずぼーっとして夢を見ているようだったとの事だった。
 同僚は不思議に思い話しかけてみたそうだが、ぼーっとしたまま何も答えないので、話しかけるののをやめたというのだ。

 私はいよいよ混乱してきた。
 私の過ごした一か月の記憶と、同僚の記憶が全く異なるようなのだ。
 気分が悪くなり、会社を早退して家に戻る。
 家に戻ると『ポポS錠』のDMが目に留まり、『ポポS錠』を飲み始めてからの一か月の記憶がおかしいことに気が付いた。
 私は急いで『ポポS錠』の相談センターへ電話を掛けた。
 トゥルルトゥルル――
 
「はい、『ポポS錠』お客様相談センターです」

「あの、少し聞きたいことがあるのですが――」
 
 私はこの一か月で起きた出来事と今日起きた出来事を話した。
 
「かしこまりました。ただいまサポート担当にお取次ぎます。しばらくお待ちください」
 
 そういうと、待ち受けのCM音楽に切り替わった。
 
「ポンポンポン、ポンポポンッ、あなたの美容と健康に、ポンポンポン、ポンポポンッ、寝る前一錠『ポポS錠』――」
 
 CM音楽が何回か繰り切り返され
 
「お待たせしました。『ポポS錠』サポートです。これからお客様に『ポポS錠』の作用について御説明をいたします。この『ポポS錠』は――」
 
 サポートの説明によると、『ポポS錠』は服用者に良い夢を見せ、ストレスを軽減し、自律神経の改善を促すという作用との事だった。
 また、あまりないことだが副作用により就寝後も作用が残り、夢と現実の区別を少しあいまいになるケースもあるそうだった。
 個人差によって副作用が強く出る場合もあるとの事。
 しかし、私のように現実の記憶が失われるほど作用が強く出るケースは今までに無い事らしい。

 私の現実があまりに印象に残らない日々であるせいでもあるのかもしれない。
 つまり私が過ごしていたこの一か月の記憶は全て夢だったという事らしい。
 原因には驚いたが、これで今日の上司や同僚の不可解な態度や言動が納得できた。
 『ポポS錠』の副作用にて不快な思いをさせたのたので、謝礼を支払うとの事。
 しかし『ポポS錠』の作用が好ましく今後も服用したいのであれば、
 『ポポS錠』の今後の改良の参考のため、特別モニターとして今後『ポポS錠』を無償で提供するので、定期的な報告を行っていただきたい。
 また特別なモニターとしての謝礼も用意するとサポートは告げた。
 私は「しばらく考えさせてください。」と答えいったん電話を切り考えた。
 夢だったとしても『ポポS錠』を使用した一か月間は楽しくとても充実した輝く日々だった。
 それに引き換え、今日や、『ポポS錠』を使用する一ヵ月前までの日々は灰色の日々だった。
 灰色であっても現実は現実。
 輝いているとしても夢は夢。
 夢と現実は違うし、夢は現実に置き換わるものではない。
 人は口をそろえて言う。
 人は現実と向き合わねばならない。つらくても逃げてはならない。
 子供のころからも教えられてきたことだ。
 私は電話番号の書かれたDMをなぞりながら、静かに考える。
 何に反応したのかわからないが偶然DMを開封したとき音楽が流れる。
 
「ポンポンポン、ポンポポンッ、あなたの美容と健康に、ポンポンポン、ポンポポンッ、寝る前一錠『ポポS錠』」

 私は決意して受話器に手を伸ばした。