【咲希のストーリー⑨】自分で切り開こうがなかった | 超潜在意識×ゆったりな働き方

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【おさらい】私が咲希ストーリーを書いていっている理由

 

前回の記事はこちら

【咲希のストーリー⑧】誰に何を言われても気にしない私の憧れの人

になります。

 

 

 

私が新たに、生い立ちから遡って、

ロングストーリーを書こうと思ったのは、

とても一言では語り切れないから!!

 

自分を信じれてなかった状態から

自分を信じれるようになり、

 

他人軸だった私から自分軸になり、

「今幸せ」と言えるようになるまでになりました!

そんな私の人生激変ストーリーを赤裸々に公開しています笑

 

ふふっと笑えて、ちょっと元気が出ちゃうような

そんなストーリーを綴っていっちゃうねー!!笑

 

自分次第で、自分を生きれる

 

前回は中学校2年生になって、引っ越しが決まったとこまでを書いたね。

 

Rのおかげで、キラキラした思い出の2年間だった!

 

その後、また神戸から広島へ引っ越し。

以前も住んでいた広島だったけど今度は、違う地域へ。

 

窓辺から遠くに海が見える学校で、山の上にあった学校だったから、景色がとても綺麗だったなぁ。

 

クラスに友達が出来て、でもまた小5の時と同じく、私と二人組だったから

友達が休んだ日に一人になる恐怖があった笑

 

友達が休んだ日に、別の女子が「いつも一緒にいることないんだよ、あの子ちょっと変じゃない?」って

友達のことを言われたんだけど、あの頃の私には「好んで一緒にいるんだよ」とか「いやいや、○○ちゃんは最高なんだよ」

とか言ってあげることも出来ず、ただ聞き流すという感じだったな。

 

心の中では、他人のいないとこしかコソコソ陰口を言うあなた達といる方が嫌なんだよと思っていたね笑

 

私は、そういう女子グループとか女子が大嫌いだったんだ。

 

過去の私は、心を開いた人にしか自分の本音が言えない人間だったね笑

今はオープンに話せるようになったし、本音も人に伝えれるようになって、本当に

人って自分次第で変化していくね。

 

でも、覚悟決めて動かなかった過去の私は上がったり下がったり、

周りの人によって左右されていたなぁ。

 

自分軸になった今だから、色々分かるけどあの頃の私には

それが私なんだと思っていて、変えることは出来ないと思っていたね。

 

絵が私の全てだった

 

また、美術部にも入って、相変わらず漫画や絵を描くのが大好きだった。

学校は嫌いだったけど、美術の時間だけは大好きだった。

部活の時間も大好きで、描くのも好きだったけど先輩たちの素晴らしい絵を

見ることも大好きだったな。

 

とても憧れる絵を描く先輩がいて、文化祭に展示した絵がめちゃくちゃ欲しいと

思っていたね笑

 

本を読むことも相変わらず好きで、相変わらず図書館にも通っていたね。

 

この頃ハマっていたのはクレヨン王国の小説。

挿絵のイラストも可愛くって、あの世界観が大好きだったな。

 

小6で初めて自分の意思を家族に伝える

 

ご飯食べる時間までもったいないと思うほど絵を描いていたい私だったから、

お父さんが食べることが好きすぎて、ドライブでやたら遠出してご飯を家族で

食べに行くという習慣が物心ついたときから嫌だった。

 

今思えば、色々連れて行ってあげたいと思っていたのかもしれないし、

プラスに捉えることが出来るけど、当時の私は父を恨んでいた部分が大きかったから

とてもそうは思えてなかったね笑

 

ちょっと中2より遡っちゃうけど、小学校6年生の頃にようやく

自分の意思を家族に少し言えるようになって

「私は行きたくない、家にいたい」っていうようになったんだ。

 

親にも友達にも自分の意思を伝えれなかった過去の私

 

私は小学校低学年の時には既に、親に対しても自分の意思を伝えることが出来なかった。

自分で「やりたい」って言って習いだしだピアノも何年も通って、高学年の時にはもう

辞めたいって思っていたんだけど「ヤマハを卒業したら、個人レッスンの先生のとここに行こうね」

ってお母さんに言われてすごく行きたくなかったけど「言い出したのはわたしだから、そんなことは言ってはならない」

と思っていて、言えなかった。

 

ヤマハに通い出して、2年目くらいでピアノは好きじゃないって事には気づいてて、サボりたいって思ってた。

小学校2年生の時に中国に住んでいた女の子が引っ越してきて、一緒に遊ぶようになったんだ。

 

その子は気が強くて、みんなを支配したいタイプのコだった。

(そう私には見えていた)

すぐ怒るし、怖いからある日「もう帰るね」って話したら「もう少しいて!」って言われて、

頭の中では「ピアノに遅刻する、お母さんに怒られる」ってぐるぐるしていたね笑

 

それで、遅れて帰ったら怒られて、

まさに私の思った通りになっていた自分で引き寄せていた現実だったね笑

 

 

状況が勝手に変わるのを待っていた過去の私

 

どのくらいまで言えなかったのかというと、

状況が変わるまで待つしか出来ないくらいだった笑

 

今だったら「オイッ」って突っ込みたくなるね笑

小学校5年生で引っ越しになったから、

辞めたかったピアノを辞めることになったんだ笑

 

出雲に引っ越しだた時に、近くに個人レッスンをしているピアノ教室がなかったから。

お母さんが「ピアノは続けられんね~」って話していて心底ほっとした笑

 

 

ピアノは個人レッスンになった時に、練習もせずに仕方なく行くみたいな感じ

だったから先生にいつも手をひっぱたかれた。

 

ますますピアノが大嫌いになったね。

「なんで練習しないの!!」って毎回怒られた。

 

それでも練習しなかった笑

だってやりたくなかったから。

 

でも、それでも先生にも母にも言えなかった。

 

マンションの一室で先生はやっていて、

いつもコロンみたいな香りがしていて

お部屋は綺麗に掃除されていて、センスも良くて

それだけが唯一好きだった笑

 

水泳もずっと習っていて、別にもう好きとかなかったんだけど

(なんせ、絵を描いていたいわけだから)

それも母に言えなかった笑

 

昔の母は厳しくて、私にとっては大好きだけど怖い存在だった笑

 

で、結局水泳は出雲にもバスで通えるとこがあったから続ける羽目に笑

なんせ、自分の意思を伝えられなかったから。

 

妹は、私と真逆のことをやっていた

 

振り返ると本当に過去の私はうじうじしていて、

本音を人に話すことも出来ず、

他人任せの人生だったね笑

 

だから上がったり下がったり波が激しかったね笑

 

周りの人に左右されて自分の気分も変わっているくらいだった。

 

あの頃の私は「母には逆らってはいけない」(すぐ怒るし、怒ると怖いから)

「自分でやると言いだしたことは辞めてはならない」

という思考だったから

 

10個下の妹が断固として動かない、自分の意思をある意味曲げないのを

見て心底腹が立ったね笑

 

どういうことかというと、妹は「学校は行きたくないから、行かない」

「やりたいって言って習いだしたそろばんを毎回サボる」っていう

私と真逆のことをやっていたんだ。

 

今なら自分の意思をやり通してすごいなって逆に感心するけど

当時の私は頭にきていたね。

 

人は、自分がやらないことを他人がすると頭にくるんだよね。

 

だから、母と一緒に怒ってた笑

まぁ、それはもっと先の話しになるので、また書くね笑

 

これだけ意思を伝えれなかった、

自分の中のルールがいっぱいで頭ガチガチだった私が

 

今は他人に自分の意思を伝えれるようになり、

柔軟に物事を考えれるようになったわけだから勇気出るでしょ?笑

 

 

過去の私があって、今がある!!

 

本当に幸せは伝染するよ!!

自分が幸せになると、周りの人も幸せになるよ!!

夫、うちの家族で実証済み!

 

だから、私と夫の事、私の家族のこともストーリーに

どんな風に変化したのかを今後も書いていくね笑

 

 

 

次の記事は

【咲希のストーリー⑩】本音を人に伝えれなかった過去

になります。

 

 

 

自分が幸せでいるだけで、周りにも伝染する!

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。