ノーベル賞を受賞した山中教授。
山中教授は高校時代、
父から医師になることを勧められた。
将来の進路に迷っていた際に、
徳田虎雄(徳洲会理事長)の著書
『生命だけは平等だ』を読み、
徳田氏の生き方に感銘を受けて
医師になることを決意したという。
→ ☆
それを読んで、思わず思い出し、
読み返してみたのがこちらの本。
徳田虎雄氏の「母の力」・・・。
かつて徳田氏の最大のライバル、
それは母であった。
「僕は幼いころから、母が手を休めているのを見たことがない。
母が眠っている寝顔を見たこともない。
母は眠らない人、休まない人、良く働く人であった・・・。」
この文章に如実に表れているように、
徳田氏の母は徳之島で
朝から晩まで働き続けた。
徳田氏は母から
「勉強しなさい。」と言われたことは無い。
しかし、母が無駄口一つ叩かず、ひたすら働き、
祖父や父や子供に尽くしている姿を見ると、
徳田氏は自分も怠けているわけにはいかない
と心から思ったと言う。
徳田氏が勉強をしていると、勉強が終わるまで、
母は徳田氏の後ろで縫物をしながら
一緒に起きていてくれた。
寝るのは十二時。
母は徳田氏の後ろで縫物をするから、
彼は眠るわけにはいかない。
母こそが最大のライバル。
母は努力の天才、忍耐の天才、節約の天才であった。
だから、大阪で一人で受験勉強をしていた時も
いつも母のがんばりを思って、
一日も気を緩めなかったのだという。
ふっと気が緩みそうになると、母の働く姿を思い出した。
母はたとえ、子供が 怠けたとしても叱る事はない。
母に叱られたとか、小言を言われたという記憶もない。
子供には、あくまで優しく、子供が文句を言えないほど
ただ、働きずめに働いていたのだ。
「なすべきことをなせ、なすべきことをなせ。」
徳田氏が医師を目指す決意をした影にあったのは
幼い弟の死。
徳田家は貧しい農家。
弟が具合が悪くなっても医師はすぐには来てくれなかった。
母は身重で、幼い徳田氏が医師を真夜中に呼びに行っても、
一人の医師には足蹴にされ、
もう一人の医師には、朝になってから行くと断られた。
結局、一人の医師が駆けつけた頃には、
弟はすでに亡くなっていた。
その時、子ども心に徳田氏は決意する。
「死ぬ前に診るのが医者ではないか。
もしうちが、村長の家だったら
医者は往診に来てくれたのではないか・・・。
よし、僕は医者になろう。
真夜中でも百姓のせがれでも診る医者になるんだ。」
弟の死が
医療の大切さを徳田氏の幼き胸に強くやきつけ、
決定づけた。
母はあきらめきれない子供の死に、
毎夜のように悔し泣きをしていた。
涙を流しながら働く母を見て、
母の愛というもののすさまじさを知った。
これだけは絶対に裏切ってはならない 尊いものだ。
僕はどうしても医者にならなくてはならない。
しかし医者への道のりは遠かった。
徳田氏は徳之島高校へ入っても一番になれた事はない。
その上、家の貧困、距離のハンデ、教育環境など
悪条件ばかり。
ちょうどその頃、蓄膿症の手術をうけた
大阪大の医学部を見て
彼の決心は決まった。
「僕は四年以内に絶対に大阪大の医学部へ行くから、
大阪の今宮高校へ転校させてほしい。」
貧困家庭である徳田家にとっては、
まさに家族全員の命運をかけた賭けだった。
彼は家の全財産をもって大阪の高校へ転校する。
しかし、大阪での彼は百六十一番。
十番以内にいないと
国立大学を受験する事は無理である。
何か方法を考えなくてはならない。
連中に勝てる方法はなんだろうか・・・。
読書力、育ち、そして顔でも実力でも勝てない。
なにか彼らに勝てる方法は・・・。
それはただ一つ。
自分が幼い頃から見てきた母の働き方。
朝五時から、夜十二時まで、
食事などの時間を差し引いても十八時間。
母は土曜も、日曜も祭日も、盆も正月もなく、
ずっと働きつづけている。
一瞬も精神がたるんでいる時はないかに見える。
連中が一日十二時間やるのだとしたら、
こちらは一日十六時間やろう。
食事を三分ですませ、超ガリ勉の方法を考えだした。
それでも、現役では門前払い、
二浪目でやっと
五つの医学部すべてに合格した。
大阪大医学部に合格してみると、
自分の考えた事はなんでも出来るという
確信が湧いてきた。
絶対に不可能だと思っていたことが
四年間の死にものぐるいの努力で
可能になったのだ。
彼は生涯、
これ以上の困難に
その後であった事はないという。
徳田氏は言う。
人生で一番大切な事は
「困難に立ち向かっていく闘志である。
99%不可能であっても一%の可能性があれば、
最後まで頑張る執念が大切である。」と。
そして徳田氏は現在、筋委縮症。
ホーキング博士のような姿になっても、
世界の医療過疎地に200の病院を作る、という夢を
まだ追いかけているという。
山中教授も若かりし頃、「徳田虎雄の生き方」に心から憧れて
医師の道を決めた。
近い将来、ips細胞は
筋委縮症の治療に役立つ日もくるという。
一日十六時間頑張る。
三百六十五日、正月も盆暮れ関係なく頑張る。
人のために。
生か死か。
そんな徳田氏とそれを導いた母の姿に
当時の私は言葉なく頭を垂れるのみ・・・。
この本はかつて
スグルが望む道である国公立医学部へ
入れるにはどうすればいいのか・・・。
寝ても覚めても模索していた時期に出会い
希望と勇気を授けて頂いた本だった。
と同時に、私が母としての心構えを
問い直された本で
今でも、涙なくしては
読めないほど、思い入れの深い本。
今、人生を模索している人達には
是非、知ってほしい。
人生においては
努力、努力、又努力。
無理な努力、無駄な努力、無茶苦茶な努力をして
初めて道が開けることもあるのだ
ということを・・・。
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