はい。こんにちは。今日は古墳時代について講義します。

 
また次の講ではヤマト政権と生活について講義します。
 
では、始めましょう。
 
古墳時代は全部で4つの時期に分ける事が出来ます。
 
古墳時代は古墳が造営されていた時代の事を指します。古墳とは墓の事です。濠などで囲まれていました。
 
3世紀中頃から4世紀後半の前期
 
4世紀後半から5世紀後半の中期
 
6世紀の後期
 
6世紀末から7世紀の終末期です。
 
また前期の前半を出現期とも言います。
 
まずは前期からです。
 
前期は近畿地方中心です。
それは4世紀末までに確立されたであろうヤマト政権の拠点が、近畿だったからです。4世紀の日本の行動の資料は、ごく一部しか無いので、詳しくは分かりませんが。
 
形態としては西は前方後円墳が多く東は前方後方墳が多かったのです。
 
前方後方墳を前方後円墳にしないようにしてください。
 
石室は竪穴式石室で、棺を粘土で覆った粘土槨が使用されていました。
 
また副葬品は、三角縁神獣鏡などがありました。
 
鏡は当時、誰に使われていたのでしょうか?

今みたいに女性が化粧する為に使っていたり、男性が髪を整える為に使っていたわけではありません。

 
皆さん、前講で卑弥呼から三角縁神獣鏡を貰ったと話しました。覚えていますか?
 
そうです。当時、鏡は司祭者呪術者)が使っていたのです。鏡は自分の姿を映す事が出来る道具ですから、当時は神秘的な物だと考えられていたのです。
 
その鏡が副葬品として埋められていたと言う事は当時の権力者が司祭者だった事を表します。
 
また古墳上には筒状の埴輪である円筒埴輪が置いてあり、斜面には葺石が敷かれていました。これは古墳時代を通じて使われていました。
また中期には動物型の埴輪である形象埴輪も登場しました。
 

埴輪と土偶はよく正誤問題で出ます。

土偶     アニミズムの一つ。女性を象徴した物。男性を象徴した物は石棒。

埴輪    古墳上に置かれた物。埴輪が置かれた理由は様々ある。例えば人の侵入を防ぐ柵や死者への食べ物を入れた入れ物など。


前期の古墳には、前期最大の前方後円墳であり奈良県にある箸墓古墳や前期吉備地方最大規模古墳の一つであり、岡山県にある浦間茶臼山古墳などがあります。
 
吉備地方とは、今の岡山県周辺の事です。
 
続いて中期に入ります。
 
4世紀後半から5世紀後半までが中期ですが、当時はヤマト政権が全国に拡大したとされたと思われている時期です。
 
形態としては前方後円墳が巨大化して、(前方後方墳も巨大化したがマニアックな知識)更に、全国で円墳・方墳が劇的に増えました
 
 
 
さっき話した形象埴輪が登場しました。
 
石室は竪穴式石室です。
 
副葬品についてです。
 
前期は司祭者的でしたが、この頃には武具・馬具が増えました。ヤマト政権が広がった事で戦乱が増えたからです。

戦乱の世は武力、財力がある人が勝ちます。これはいつの時代でも同じ事です。

財力があるとなぜ勝てるか?
それは、財力があると武器をたくさん買ったり、兵をたくさん動員する事が出来るからです。

 
だから、当時の古墳に埋葬された人、当時の権力者は武人だった事が分かります。
 
代表古墳についてです。
 
大阪府の大仙陵古墳や吉備地方最大で、岡山県にある造山古墳などがあります。
 
大仙陵古墳は百舌鳥古墳群にあります。仁徳天皇陵とされています。
 
日本一の大きさの前方後円墳です。また、大仙陵古墳の周りには、埋葬者の愛用品や奴隷を埋めた陪冢がいくつかあります。
 
続いて後期に入ります。
 
後期には近畿地方ではまだ前方後円墳がありましたが、吉備地方では前方後円墳が見られなくなりました。
 
代わりに山の斜面に営まれた群集墳や山の斜面に多数の墓穴を掘った横穴など、たくさんの人を埋める事が出来る古墳が現れました。
 
石室も横穴式石室になりました。横穴式石室にする事で、棺をどんどん詰め込む事が出来る(追葬)ようになりました。

↑竪穴式石室です。
 


↑横穴式石室です。棺のある部屋が玄室で、入り口から玄室までの道を羨道と言います。また入り口を塞ぐ石を閉塞石と言います。

絵で見て分かりましたか?竪穴式石室から横穴式石室にしたことで幅が出来たのです。だから追葬が出来るようになったのです。
 
また副葬品も土器や生活用品になった事で有力農民が埋葬者だと考えられています。
 
代表的な古墳として、和歌山県にある群集墳である岩橋千塚古墳群埼玉県にある横穴である吉見百穴などがあります。
 
また埴輪や葺石以外にも、九州では石人・石馬と言う石の埴輪みたいな物が現れました。また墓室に彩色や絵などが書かれた装飾古墳も現れました。
 
続いて終末期に入ります。
 
終末期は前方後円墳が無くなりました
有力都市では大型の方墳や円墳などが営まれましたが、地方では一部の有力農民だけが円墳や方墳を営みました
 
千葉県の龍角寺岩屋方墳栃木県の壬生車塚古墳などが有名です。
 
また7世紀中頃には大王のみ固有の形態として八角墳が登場しました。
 
やがて火葬が現れると、八角墳も無くなりました。
 
 
こうして古墳時代は終わりを告げました。
 
 
これで講義を終わります。