12年間続けてきた私のバスケットボール人生が終わりました。
親がコーチで小学生の頃から365日バスケづけで、試合から帰ったらテレビは見れなくてその日の試合のビデオつけて反省会して。
そんな毎日が当たり前だったけど、もうそれもなくなるんだなって思うと嬉しい気持ちと寂しい気持ちと…んーまだよくわかんないかな。
小学生時代
放課後学校から帰ったらみんなが遊んでるとこシューティングに行って、たまに親に見てもらって学校で泣かされて。
朝は6時代に起きて毎朝朝マラソン行って、親起こして外ボール持って朝練やって。
高学年になるとサボってるのばれないように、とりあえず起きて家出て少し走って時間まで隠れて時間になったらいつも通り帰宅して(笑)
夏でも冬でも、今までの人生の中で一番練習がきつかったと思う。
でもそのおかげで、中学でも高校でも怖いものはなかった。結局、重りつけてフットワークしたのはあのときだけだった。笑
あの練習があったから、今の私があると思うし関東大会や全国大会にでるという経験ができたんだと思う。


バスケ中心の毎日もここから始まった。
今考えても、ケガしないように体育を一生懸命やるなとかインフルエンザもらわないように三学期はチームの人全員が学校にマスクつけていったり、普通じゃないこといっぱいしてたと思う。笑 でもすごく濃い日々を過ごしてたと思う
中学時代
越境先をさんざん探して、三日間勉強して栄中受験したけど落ちて。結局宗岡中に入学した
中学時代は宗中に行ったこと後悔もしたけど、今考えるとあのレベルの高いメンバーと毎日練習できてただけで幸せだったと思う。
部長になったけど試合に出れなくて、親には転校しろってさんざん言われて、毎日すごくつらかった。内申のために部長やってるって自分に言い聞かせて、高校で挽回してやるって思って毎日過ごしてた。ほんとに何もやらない部長で申し訳なかった。
でも、あのときあのメンバーの中で試合に出るためにもっと努力してたら今の自分はもっと違ったと思う。それがすごく後悔。
現役時代のいろいろな事件は別として、最高なメンバーだったと思う

高校時代
姉の高校でのバスケをしてる姿を見て、中1の頃から浦和西に行くって決めてた。
入学して、1年生が18人もいてびっくりして、
2つ上の先輩がすごく強くて、ありがたいことにメンバーに入れてもらえて一緒に練習させてもらって、すごく幸せな毎日だった。
先生が変わって、姉の時とは違うことがたくさんあってすごく戸惑ったけど、けいこ先生に習うことができて本当によかったと思う。
自分達の代になったら、やりたいこととかたくさんあって、毎日西高通りでさんざん話して(まぁほとんど聞いてもらってたけど )
自分達の代になって、試合にたくさん出させてもらって、でもうまくいかないこととか多くて。親が見に来たときは帰りの車が反省会になるから本当に嫌だった。でも3年が近くなったときぐらいから親のダメ出しが少し減ってきてバスケがすごく楽しくなった。
インターハイ予選。
新人戦と関東予選と、不完全燃焼で終わってたからその悔しさをぶつけたかった。
星野戦は危なかったけど、なぜか負ける気がしなかった。
正智戦。絶対勝つ!!っていう気持ちで挑みたかったけど、それよりもおもいっきりやる!っていう気持ちのほうがおおきかった。あのときの試合の内容が合ってたかはわからないけど、自分的には完全燃焼した試合だった。
負けてみんなが泣いてるのを見て、あぁ、終わっちゃったんだなって思った。
3年生の仲間達と、遠征でいろんなとこ行って。バカなことやってるなーって思いながらも楽しくて
毎日一緒にいるのが当たり前で

でも、そんな毎日も当たり前じゃなくなるんだなーって思ったら悲しかった。
ミーティングが終わって、次の日からみんながネクタイとかリボンをつけてきてるのを見て、遠い存在に感じて少し寂しかった。
ウィンター予選まで3人が残ってくれて、
夏練とかにまきこまれて練習きつかったけど、すごく楽しかった。
本当に舞、りか、まきには感謝してる

最後児玉に勝てたときは、すごく嬉しかったし
もう少しやりたいなって思った。
バスケがある毎日が当たり前だったし、高校受験も結局は高校でバスケやるために勉強頑張ってたから、本当にもうやらないっていう実感はないけど、自分の次の目標のために頑張ろうと思う。
次の目標は親を抜くこと!
指導者として、バスケに関わることがすごく楽しみ。
とりあえず、ここまでこれたのは全部親のおかげ。感謝してもしきれないほどいろいろやってもらった。
そして、今まで関わってもらったすべての指導者と最高の仲間に感謝したいとおもいます。
ありがとう
ございました。
とりあえず、大学生にならなきゃ何も始まらない!勉強。勉強。
頑張ろう(^^)b
やばい、長文(笑)
