今日から私が中学一年生の8月4日…お空へ行った私の父があらゆる方法で私達家族へ思いを伝えてくれた不思議な出来事について不定期になってしまいますが少しずつ書いていこうと思います








それは私の小学校の卒業式の次の日の事でした。


早朝いつものように仕事へ出かけた父はその日出かける直前に、母に『〇〇の卒業祝いに今日はみんなで外食しよう』と言ったそうです。


この時いつもまっすぐに相手の目を見て話す父が、何故か少し俯き加減に話していた事が実は気になっていた…と母は父がお空へ行った後に話してくれました。
そしてその日に限って自宅から程遠い千葉県での仕事だった父…
お昼を過ぎて母が知人と買い物に行き、私と弟は自宅で留守番をしていました。


そんな時、静かな時間を掻き消すように鳴り響いた自宅の電話…いつも通りの応対で出た私の耳に飛び込んできた言葉は『〇〇さんのお宅ですか?こちら救急隊の〇〇と申しますが…先程お父さんが倒れられました』だった。
当時12歳の私の頭の中はこの言葉により一瞬にして真っ白になってしまい、救急隊の方から祖父母の自宅番号を聞かれても上手く声にならず『お父さん大丈夫だから落ち着いて』そう言われてやっと私は叫ぶように声を出して伝えた。
救急隊との電話が終わり私はそのまま母に連絡をした。
泣きながら話す私の言葉を聞いた母は『今すぐ帰るから用意をして待っていなさい』と諭した。

それから、私達家族は知人の車で駅まで送ってもらい電車に乗って千葉県松戸市を目指しました。
しかし、車内でも私と弟は泣くばかりで気持ちは‘一分でも早く会いたい’としか考えられなかった。『大丈夫よ』等と言葉は気性に振る舞っていた母もポロポロと涙をこぼしていました。
人の少ない車内で悲しみに包まれている私達の前に座っていた若い女性がハンカチを取り出し、目を赤くして目頭を拭っていました。
きっとこの女性は、私達家族がどのような状態にあるのかを向かい合って座っている中で気づいたのだと思います…もしかしたら、この女性も同じような悲しい経験をされた方なのかもしれません。


長い長い道のりの中『疲れが溜まっていたようですが命には別状はありません』どうかそう言って欲しいと願っていた。
病院のベッド上で『いやぁごめんごめん大した事ないよ』と、父が笑って言ってくれる事を祈っていた。