今は元歌手と言わなくてはならない、2013年に事務所の吸収合併で歌手を辞めなければならなかった大好きだった人が、9月に歌う。
いま働いている職場のPRのため、30分の歌謡ショー。
たった30分と言われるかも知れない。
けれど、今まで函館に行っても、カラオケBOXでしか聴けなかった彼の歌声を堂々と聴ける日が来るとは…。
もっと近ければ行きたかった。
辞めてから、結婚し、仕事も順調にこなしていたけど、そこへ辿り着くまで沈黙を貫いた彼。
何を聞いても、「大丈夫です」「ありがとうございます」「頑張ります」「応援してください」…。
でも、出演していた舞台が1月半ばで終わってから、一向に動きがなかった。そして3年前の4月。
ファン通信届いた。
確か4月7日辺りでしたよね。言葉を無くした会報でしたね。
会報が届いたと伝えると、直ぐにブログが更新され、歌手活動を休止し函館に行き大好きな北島三郎師匠の記念館でスタッフとしての人生を歩むことにしました。
そんな内容が書かれていたよね。日付は書いた日だったのであろう4月1日…。
翌日、東京を離れる前に
「行ってまいります。ぜひ遊びに来てください。向こうに行っても頑張ります」
という言葉とスタンプ…。
あのNHK歌謡コンサートにも出ていたのに…なぜ…(泣)…。
そんな想いでいっぱいだったけど、一番辛かったのは本人だったでしょうね。
貴方が函館に行って直ぐ、私は心因性の右半身麻痺になりました。
応援していた人が突然、目の前から居なくなったのはこれで二度目でした。
一度目は「華原朋美」さん…。
食事や水分を摂るのもままならず、水分にトロミを付けて飲んでいました。
右半身は手も足も力が入らずサポーターなしには怖くて階段も降りれなかった。
そんな状態が3ヶ月近く続きました。
その頃、貴方はデビュー当初から支えて下さってた彼女とご結婚されましたね。
それが、私の麻痺を取り除いてくれたように思います。
函館に行ってからも、たまに、地元の祭りや記念館のイベントで1曲歌ったりはしていたみたいですね。
でも、30分のステージは歌手を辞めてから初めてではないでしょうか?
聴きには行けないけど、6月に聴いたあの歌声を思い出しながら応援しています。
でも、私は見逃していません。
ステージショーという隣に書かれた名前は使っていた芸名ではなく、貴方の「本名」でしたね。
貴方がもう、歌手には戻らないという強い意思の表れですね。
どこまでも真っ直ぐですね。完敗です(笑)
ステージショー楽しんで下さいね。
お風呂で鼻歌歌って、可愛い奥さんに叱られないようにね(笑)
今でもたまに、貴方のブログにいきます。そこにある6年間のキャンペーン1人旅の旅先での写真や想いを読み返したりしています。
辞めるとき、ブログだけは残して欲しいと頼んだこと覚えていらっしゃいますか?
忘れていたとしても、歌手であった証を残してくれていることが嬉しいです。
これからも大好きな歌に携わりながら楽しく歌い続けて下さい。
心より応援しています。