自分と向き合う為には、自分自身を知らなければと思う。


幼少期から集団行動が苦手で保育園では、みんなが外で朝礼をしているのに、私は1人体育館へ行きトランポリンをしていた。


5歳の時の副担は他の子と同じことをしようとしない私に苛立ち、3歳児クラスへ放り込んだ。


それを知った園長が慌ててやって来て5歳児クラスに戻し、自分のしたいようにしていいんだよと諭してくれた。


その後、小学校に上がっても、周りから浮いてしまい友達付き合いが出来ないまま学年だけが上がっていった。


高学年になると、流石に周りと上手く付き合えないことに悩み始めるも、なぜそうなってしまうのかが分からなかった。


そんな人間関係が築けないまま、今の年齢になり、社会の中に馴染めない自分自身に苛立ち、自分を傷付ける日々が10年以上続いている。


なんとかして普通に社会生活を送りたい。そう願うも、人間関係に疲れ果て仕事どころではなくなり、不眠になり、欝になり、引きこもることの繰り返し…。


自分を変えたくて、なんとかすがる思いで大学時代の担当教授にメールをしてみた。


大学時代は、福祉を専攻し老年心理学に興味を持っていた為、心理学の教授のゼミで学んでいた。


その教授が確か「発達心理」にも詳しかったことを思い出し、教授の知人に発達障害などに詳しい方やクリニック等に通じる方が居ないかを探して頂けないか?とお願いしたところ、出張から帰ったら少し探ってみると返信を下さった。


何かを変える為の一歩を踏み出せたかも知れない。


時間が掛かるとは思うが、この「生きにくさ」から脱する為には周囲に助けを求めることも時には必要だと思うようになった。



今までずっと一人で抱え込んでいた悩みを解消して、ポジティブに生きていきたい。



何年も受けていたカウンセリングでは変われなかったのは、スタートする地点が違っかったのではないか?



今つけられてる病名ではなく、先天性のものから「生きづらさ」がきているとしたら、きっと何年経っても問題の解決には結びつかないだろうと思い今回の行動に移すこととなった。



先のことはわからない。でも、私は生きなければならない。だから、声を上げた。



「助けて下さい。アドバイスを下さい。」と…。



周りから「甘え」と捉えられても構いません。だって、この歳になるまで自分なりに悩み苦しんだけど答えを見つけられなかったのだから。



自分の努力不足かもしれない、甘えかもしれない。それでも答えが出せなかったので、一緒に探してもらうことにしたことを私は恥ずかしいとは思っていません。



明るい未来に繋がりますように…。