ブログネタ:いま幸せ? 参加中
私は幸せじゃない派
「いま幸せ?」かどうかと聞かれたら、「幸せじゃない」と答える。
この二年がむしゃらに応援に明け暮れてきたけれど、ふと、気付いた空虚感。
裏を知らずにいれば、きっと今も幸せ気分で応援していられたかもしれない。
でも、純粋に応援する気持ちを握り潰された今は、もう、自分自身、気持ちがどこにあるのか分からない。
同じ歌い手を応援しながら、イベントで顔を合わせても挨拶すらしない。気に入らないと、直ぐに外しにかかる。
裏でやりたい放題、やっておきながら、歌い手本人や新しいファンにはイイ人をアピール…。
そんな裏側にほとほと疲れた。
ファンのそんな姿を見ているうちに、そのファンと仲がいい歌い手さんも同じに見えてきた。
今まで心に響いていたはずの言葉が上辺だけに思えるようになってしまった。
本当に人生のドン底を知っていたら、自分自身の言動・行動で誰かを傷付けているかどうか気付く力がついているはず。
でも、それに気付く事がないのだとしたら、私の目が節穴だったと言うこと。
見る目がなかった自分が情けない。でも、その「見事な惹き付け力」は、尊敬に値する。
歌手であると同時に女優なのだろう。
それは疑いのない、高度な実力だと思う。
その力に魅せられてここまでこれた事に感謝しながらも、これ以上、応援先で苦痛を感じながら応援する気力はもうない。
私の支えであった。でも、今は、応援に行く度に悲しみを味わう。
今まで生きる気力を貰っていたのに、今は、精神的ストレスにさらされボロボロである。
頑張って応援に行きたいが、前よりも、応援に行くまでに心の調整に時間と労力が必要になってしまった。
そんな状態の「いま」を、私は幸せとは言えなくなってしまった。
また、目の前に広がる「闇」…。
この「闇」に灯りを灯してくれるのは誰だろう。
でも、大切なことを教えてくれた人がいた。
私は創られた歌い手さんを今でも好きなこと。その裏の素顔を見る必要はないのだと。
気持ちを切り換え、表の顔だけをみながら応援し続けよう。
そうすることで、また、私の人生に灯りを灯してくれる存在になってくれるかもしれない。
私は幸せじゃない派
「いま幸せ?」かどうかと聞かれたら、「幸せじゃない」と答える。
この二年がむしゃらに応援に明け暮れてきたけれど、ふと、気付いた空虚感。
裏を知らずにいれば、きっと今も幸せ気分で応援していられたかもしれない。
でも、純粋に応援する気持ちを握り潰された今は、もう、自分自身、気持ちがどこにあるのか分からない。
同じ歌い手を応援しながら、イベントで顔を合わせても挨拶すらしない。気に入らないと、直ぐに外しにかかる。
裏でやりたい放題、やっておきながら、歌い手本人や新しいファンにはイイ人をアピール…。
そんな裏側にほとほと疲れた。
ファンのそんな姿を見ているうちに、そのファンと仲がいい歌い手さんも同じに見えてきた。
今まで心に響いていたはずの言葉が上辺だけに思えるようになってしまった。
本当に人生のドン底を知っていたら、自分自身の言動・行動で誰かを傷付けているかどうか気付く力がついているはず。
でも、それに気付く事がないのだとしたら、私の目が節穴だったと言うこと。
見る目がなかった自分が情けない。でも、その「見事な惹き付け力」は、尊敬に値する。
歌手であると同時に女優なのだろう。
それは疑いのない、高度な実力だと思う。
その力に魅せられてここまでこれた事に感謝しながらも、これ以上、応援先で苦痛を感じながら応援する気力はもうない。
私の支えであった。でも、今は、応援に行く度に悲しみを味わう。
今まで生きる気力を貰っていたのに、今は、精神的ストレスにさらされボロボロである。
頑張って応援に行きたいが、前よりも、応援に行くまでに心の調整に時間と労力が必要になってしまった。
そんな状態の「いま」を、私は幸せとは言えなくなってしまった。
また、目の前に広がる「闇」…。
この「闇」に灯りを灯してくれるのは誰だろう。
でも、大切なことを教えてくれた人がいた。
私は創られた歌い手さんを今でも好きなこと。その裏の素顔を見る必要はないのだと。
気持ちを切り換え、表の顔だけをみながら応援し続けよう。
そうすることで、また、私の人生に灯りを灯してくれる存在になってくれるかもしれない。