自分と世界の間に在る皮膚という境界への憂い〜「物質でなくなること」を願うある人間のお話〜

自分と世界の間に在る皮膚という境界への憂い〜「物質でなくなること」を願うある人間のお話〜

自分と世界の間に在る皮膚という境界への憂い〜「物質でなくなること」を願うある人間のお話〜

この世界の片隅で
「自分と世界の間に皮膚が隔てる境界があること」に強烈な憂いを抱え
その原因の「物質である肉体から解放されること」を願う人のお話。

─素粒子として、全てになりたいだけ。
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あの日の体験があってから、
「何故世界と自分は隔てられてるのか」という、強烈な飢餓感に近い違和感を持って10年生きてきた。

世界と隔たりがなければ、こんなに身を削られるような淋しさに常時にさらされることもなく、満たされて生きることができるはずなのに、
この皮膚という妬ましい境界があることで、私は個を保たねばならない。

個であるということは、
体の細胞を保つ新陳代謝を行うためにその糧を摂取し続けないといけないし、回復のための睡眠や清潔にするための入浴が必要で、そのためには住む場所も必要で、それら諸々を保つためにはお金が現状の世界であれば必要だ。

社会の中にも個であれば身を置かなくてはならなくて、そこで生じる諸々も私には難しかった。


元々「当たり前」が良く分からないし、さじ加減を測ることも苦手でずっと生きてきて、もしかしたら何かしらの学習障害に当てはめられるのかもしれない、そういった変種の人間の戸惑いの文章だと思ってもらえると理解しやすいのかもしれない。
パッと見は人当たりも良く、風変わりの少しエキセントリックなところもあるけど、良く笑う人間なんじゃないかと思う。

でも自分の感覚が他者と大きくずれてることで、苦労は少しは多めな人生だったんだろうと思う。
当たり前と飲み込めずに上手く適応出来なくて弾かれることも多かったとはずだし。

ただそれは、こういう違和感をもつ人間として仕方ないことだったんだろうなぁと、今なら苦笑できる程度には受け入れられるようにはなっている、強烈な違和感ごと苦笑する程度に。
最近とあることが起こって、
自分の感覚のチャンネルのようなものがバチっと切り替わった。

何かを体験しにこの体に入ったと、どこかのスピリチュアルサイトで読んだときに、
肉体を体験しに人間になったのかもしれないけど、やってみて、合わないどうしようとなってる魂のイメージが浮かんだ。

人間としての私も、
やってみてダメならその時に考えてまた違うことに挑戦してみるようなタイプたけど、どうにも人間はやめられないみたいで。

だけど肉体を持つからこそ生じる全てのことがもういい加減煩わしくて、
もういいよ、もういいから早く肉体でなくなりたいという思いが強くなっている。
もう10年も前のこと。
当時していたコールセンターのインバウンド(受信)業務中にふと訪れた白昼夢。

少し暇な日だったので目を瞑って、次の電話がかかってくるのを淡々と待っていたはずなのに
なんの前触れもなく、
自分の皮膚という境界線の感覚が何の衝撃もなく無くなり、世界と自分がいきなりひとつに溶けた感覚が訪れた。

それはすごく当たり前のように
ひそやかで穏やかな幸せの世界だった。

そしてまた同じように前触れもなく
鳴った受信音で現実に戻されて、何事もなくいつものように話し始めたけれど、
その感覚が忘れられずに、その日はほうけたようになってしまった。


あの日からその感覚が忘れられずに、
世界と自分が皮膚で隔てられていることが悲しくて仕方ない。
あの感覚が恋しくて、肉体という物質であることが恨めしくてたまらない。
物質でなくなれば、あの幸せな全てになれるのに。


ただ救われるのは、
最近その感覚の理解者が現れたこと。