自分はダメなんだという癖がある人がいる。
自分はダメだと、自分に言い聞かせているのではないかと疑うほど、ことあるごとに自分はダメだという。
俺はこれを、聖域に閉じこもっている状態だなと思う。
自分はダメだと言い聞かせることで、行動や思考の範囲を、自分の手の届く範囲に設定してしまうのだ。
自分の手の届く範囲で物事が動けば、それはそれは安心していられるだろう。
すべてが自分の思い通りになる。
そして、自分の手の届かない範囲のことになると、途端に自分はダメなんだといって、聖域に逃げ込んでしまうのだ。
■聖域でのひきこもり
自分はダメだと言い続ければ、自分から外に向かって行動する機会は減っていくだろう。
これがいっときのものであれば良い。
逃げ出したい時もあるだろうし、しかたのないときもあるだろう。
しかし、これをずっと続けていくことは危険だ。
あなたはひきこもりという言葉を知っているだろうか。
ある空間に閉じこもって、そこから外に出ない、出るのが怖い、出るのが面倒。
いろんなパターンが有ると思うが、自己否定の聖域に閉じこもることも、精神的なひきこもりではないかなと思う。
かく言う俺も、精神的なひきこもりを経験したことがある。
これを続けていると、弊害が生まれてくるのだ。
それは、できないと思い続けることで、本当に行動しなくなり、実際にできなくなっていくことだ。
俺の場合は、学校が嫌いで嫌いで仕方なく、そのせいで学校でも無感情で過ごし、他人と会話することをやめた。
それから大学に進学するのだが、そこでの一番の問題が、他人と会話することだった。
普通に会話できるようになるまで、本当に長い時間がかかった。
今となっては、その時よりはマシに会話できるようになっているが、本当に長い時間がかかった。
それと、無感情でいた事も弊害を生んだ。
しばらくは、感情の表現の仕方がわからない状態が続いていたのだ。
気づいたら、自分がいまどう思っているのか、何を感じているのかがわからなくなっていた。
これも、自分の中から思いを拾い上げられるようになるのに、時間がかかった。
聖域に閉じこもることは、とても安心できるが、全く冒険がない。
自分の出来る範囲でしか物事を見れなくなるし、感じられなくなるし、考えられなくなるし、行動できなくなる。
それが、自己否定の聖域でも十分に起こってしまう。
本来、この世界は全て聖域だし、またはどこにも聖域は存在していない。
それは、あなた自身を本当の意味で貶めることなどできないし、あなたがいつでも安全でいられるということもないということだ。
誰にでも誇りはある。
あなたが折れなければ、いつでもそこに聖域はある。
しかし、聖域と聖域は同居できない。
だから私たちは聖域にひきこもり続けることはできない。
聖域にあり続けることはできない。
自己否定すること。
それをいつまでも続けることはできない。
もっと世界を広げようじゃないか。
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