本日、実家へ行ってきた。お盆の片付けをするつもりだったのだが、いざ行ってみたらすでに母の手によってほぼ片づけられていた。母が歳を取ってもう自分では何もやれないと弱音を吐くので、お盆の準備も片付けも私がやりに行くから、と言ってあったのに、今日私が行くことも忘れていたらしい。いつもカレンダーに次回の訪問予定を書いて来るのだが、うっかり今日の分は書くのを忘れていた私も悪いんだけれど。

 

 

「何だ、結局自分で片付けれたんじゃん。」と言うと、「今年は何とかやれたけれど、もう来年からはたぶんやれんわ。」と言う。今年のお盆前に、「もう全部アンタに任せた。」とか一方的に宣言し、「もう細かい、面倒なことは全部やらなくていいから。本当にお供えだけ買って来てくれればいいわ」とか言ったくせに、いざとなったら、あれもやらなくてはいけない。これも買ってくるのを忘れた、と細かいところまで後出しじゃんけんのようにあれこれ言い出して、さんざん振り回された。どうせ来年も同じパターンで振り回されるんだろうなと今から来年のお盆が憂鬱だ。

 

 

今日は息子が仕事で、実家の近くの病院に行く日だったので、息子夫婦と孫も実家で合流。母と私、息子とお嫁さんと孫、5人でお昼を一緒に食べてから息子だけ仕事へ。

 

 

孫はプラレールが大好きで、孫に激アマな私は、プラレールを少しずつ買い集め、実家に運び込んでいた。孫はひいばぁばのおうちに行けばプラレールで遊べると刷り込まれ、実家へ行くのが大好きになった。今までは大人が組んだレールに電車を走らせて喜んでいたのだが、最近は少しずつ自分でレールを繋ぐようになって来た。でも、なかなかうまく繋がらず、あちこちで途切れて、脱線事故を起こしまくっている。「ごめんごめん。壊れちゃった。ごめんごめん」と電車?に謝ってるのが面白くて、どこで「ごめんごめん」って覚えたの?なんて笑っていたら、しばらく経って「あ、ごめんごめん、忘れてたわ。」と自分が発した言葉にハッとした。何のことはない「ごめんごめん」は私の口癖だった。てっきりお嫁さんか息子か、あるいはテレビとか絵本とかで覚えたのかななどと漠然と考えていたら、まさかの自分だったとは。まったく気が付いていなかったが私はすぐにごめんと口に出すらしい。「ヘタなことは言えないね。ごめんは言わないように気を付けるわ、ごめん。」と言ってからもそれ以降、二回くらい「ごめ・・あ、ごめん、あ。」となった。

 

 

しかし、自分がこんなに無意識にごめんを連発しているとは、今日の今日まで気が付かなかった。別に人生舐めているわけではないのだが、とりあえず謝っとけば相手もそれ以上強く言えなくなるだろうと心のどこかで思っているのかもしれない。自覚はないだけに質が悪いかも。最近何かのドラマで言っていたな、何度も謝られると、謝罪が軽くなる、みたいなこと。自分に対する自信のなさの表れでもあるかもしれない。この歳になると、そう簡単に癖は抜けないだろうけれども、孫の前だけでも言わないように気を付けよう。