第十 尚貞王妃章氏聞得大君ニ命セラレ並ニ薨去ノ事
尚貞王已ニ御妻方氏ヲ夫人ニ進ミ 御寵愛殊ニ甚タシカリケレバ 正妃章氏奥間按司加那志ハ嫉妬心ナキヲ得サル人情ニ免レ玉ハズ 反目ノ御中トナリ玉フニヨリ 聞得大君職ヲ命セラレ 左右に侍スルヲ許シ玉ハズ 奥間按司加那志モ亦御心甘シテ 神職ヲ奉シテ聞得大君御殿ニ退去セラル 是ヲ以テ御夫人方氏ヲ昇シテ継妃ニ命セラル 真壁按司加那志トソ称シ奉リケル 聞得大君加那志ハ王及ビ継妃ニ先テ薨去セラル 王乃チ章氏ハ我レト離婚シテ居ルカラトテ玉陵ニ薨ルヲ許シ玉ハス 衆官再三諫ミ上ケルモ聴キ玉ハズ、世子尚純公啼泣シテ頻リニ諌ミ奉リケルニソ 漸ク許シ玉ヒヌ 之ニ依テ聞得大君御殿ヨリ玉陵ヘ御葬送セラル事ニナレリ、真壁御門内ニ於テ大ナル桟敷ヲ構ヘラル 蓋シ王継妃方氏ト御一同ニ御葬送ノ礼伏ヲ御覧セラレントイリ、此時江田親雲上ハ平等大屋子トシテ不法ヲ取締ル任ニ當レリ 国母ノ御葬送ニ棧敷ヲ構ヘルハ不法ノ所為ナリト為シ解除ヲ命ス 守者是レハ王命ナリト言フ 王命ト雖此不法ハ許スヘカラズト 立ナカテ刀ヲ取リ來テ斬リホトカシム 江田ノ剛強所為後世傳ヘテ美談トソナリタ 之ニ依テ継妃方氏ヲ御携ヘ大美御殿御物見小楼ニ於テ御覧セラル 御葬送伏已過クルニ迨テ 御悲哀ノ情ニ堪へ玉ハス 覺ヘズ御涙ヲ墜シ玉ヘル 継妃方氏怒テ持スル所ノ煙管ヲ以テ王ノ御頭ヲ打チ シラガー耻ヲヤナシトソ言ハレタトナリ
尚貞(しょうてい)王はすでに側室方氏を第一の側室にしました。方夫人を愛することがすさまじいので、正室の王妃である章氏奥間按司加那志(がなしい)は嫉妬心をなくすることが出来ず、人情からのがれることが出来ませんでした。ふたりは反目の仲となりました。王妃は聞得大君を命じられ、国王の側にふたりがいっしょに座ることを許されませんでした。奥間按司加那志もしかたなく王の命にしたがい、神職に就いて聞得大君御殿(うどぅん)に退去させられました。これで第一側室の方氏は二代目の王妃となりました。真壁(まかべ)按司加那志と呼ばれました。聞得大君加那志は、国王と二代目の王妃に先立ってお亡くなりになりました。国王は、章氏は私と離婚しているからと玉陵(たまうどぅん)にほうむるのを許しませんでした。官僚たちは再三におよび国王をいさめましたが、聞いては下さいませんでした。国王の跡継ぎである尚純(しょうじゅん)様が号泣して何度もお諫めになりました。ようやく国王はお許しになりました。それで、聞得大君御殿から玉陵へ御葬送されることになりました。真壁御門内において大きな棧敷が作られました。国王は王妃方氏といっしょに御葬送の礼拝を御覧になろうと入りました。この時、江田親雲上(ぺえちん)が町の警備長官として不法を取り締まっていました。彼は国王の正室であった方の御葬送に桟敷をかまえるのは不法であると解除を命じました。守備隊は王命であると言いました。彼は王命であっても不法は許されないと言いました。立ちはだかって刀を取って来て、斬りかかっていきました。江田の勇気ある行動は後世までの美談となりました。そして、国王は王妃方氏ともに、国王の別邸の見晴らし台に登って御覧になりました。御葬送の礼拝が終わるまで、国王は悲しみの情に堪えきれませんでした。おもわず涙を御流しになりました。王妃方氏は御怒りになり、持っていた煙管(きせる)で国王の御顔を打ち、「白髪頭が恥を知りなさい」と言われたそうです。
※尚貞王は第11代の琉球国王です。「玉陵(たまうどぅん)」は琉球王国第二尚氏王統の歴代国王や王妃が葬られている巨大な石造りの陵墓です。ユネスコの世界遺産であり、日本国の国宝です。第一印象は「これがお墓なのか?」です。NHKの「テンペスト」に何度も登場しました。首里城公園内にあります。「平等(ふぃら)」は「首里三平等(しゅりみふぃら)」のことです。第一回の第四の解説を御覧になってください。「大屋子」は「大役」の琉球風な言い方です。「立ナカテ」の意味が不明です。琉球語の「立ちなゆん」と関係があるかもしれません。「ホトカシム」は「解かせる」という意味でしょうか。「大美御殿(うふみうどぅん)」は首里城外西方に存在した琉球国王の別邸です。現在は県立首里高校の敷地周辺になっています。ペリーが沖縄を訪問したときには、ここで宴会が催され歓待されました。「シラガー」は琉球語で「白髪頭」のことです。