これは、人類だけでなく、モノというもののすべてです。

鳥等、生物は、子供が飛び立ちするまで、親が面倒を見る。

人類でも、7歳で、一人立ちする時代であった。

それでは、人の能力が十分に、また、個性の成長ができないという。(昔は、弟子入りという制度で、個性の成長をさせた。それは、今の機軸では、虐待だというとことです。(修行という中で、滝打ち行事がある等。)

義務教育で、15歳で、子供は、親から一人立ちした。現代では、18歳まで、を美徳という政策で、政党は叫んでいる。

(ここには、人類の脆弱性を保護するという、思考より。選挙目当てで、ますます、子供の自立と言いながら、ますます、子供は、脆弱性を克服する勇気を持てないで、います。

鳥等で、高い木の上から、一気に、大空へ飛び立ちします。(この時、親も、子供の勇気ある決断で、結局、脆弱性を超えたのです。

その後の人生は、人類以外、過酷なものです。ライオンが牛を襲っても、仲間は、助けません。脆弱性を克服した後は、それぞれの運命です。

人類は、7歳で、一人立ち、そして、義務教育で、15歳まで、今では18歳までという。さらに、最近では、大学生まで、無償かという。自然の営みである、妊娠まで、無償かという、ところです。

40歳になっても、人類は、漸弱性を克服する勇気を持てないで、いつまでも、延長することが、個性だという教育ののためという。

人類というか、人は、そろそろ、どっかで、脆弱性から、飛び立ちすることが来たのです。

永遠の平等人生はないでしょう。

それでは、人類全体が、他の生物より、劣るということになります。

戦争は、武器は、人類が、脆弱性を克服する手段であった。そして、それが、いかにも、権利というか、戦争が、脆弱性を克服する手段になっている。

すべてが、人類の脆弱性から、来ているのです。昔のように、7歳で、飛び立つという、思考を再評価する時代でないでしょうか。