当時のままを受け入れられない、人々の正義とは、何か。

現代人は、正義ということか、当時の事実を受け入れられないということで、それは人権無視だ、強制だ。

「アロースター橋を制した日本人の英雄3人の歴史」、それは、逆だ。石碑は1941年以来ずっとそこにあるものだ。

当時、その時間だ、事実だ。

その後、敗戦で、英雄でなく、虐殺者ということでしょう。

よく、海外へ行くと、抗日戦勝碑があります。

これも、冷静に考えると、日本人が、6000km彼方の海外へ、そこで、戦争したという事実だ。

戦争の勝者、敗者は、別にして、2000年後の人類は、何を考えるでしょうか。

朝鮮、台湾には、抗日戦勝記念碑がないようだ。(当然というと、当然です、それも歴史事実だ。)

それで、慰安婦像だということでは,民族的誇りが持てない。

日本に、アメリカ占領記念碑があるか、知らない。あれば撤去騒ぎか、当時の事実として、残すか。

古い墓地、神社等で、日ロ戦争の記念碑や軍人死亡墓がある。

それらは撤去でなく、当時の事実だ。

撤去を正義というより、撤去しない、精神的誇りが大事と思います。一部では、苦痛だ、という人は,当時の人の苦労を、排除シテ、当時の人の苦痛より、現代人は、自己正義を叫んでいるようだ。

この心境は、当時の事実を受け入れることを排除しているようだ。