この際とは娘から送られてきた。
    歴史は興味ある。しかし、歴史は勉強し、忘れて、次に時代のより、人類が共存できる思想や考えを構築する物です。

    自分は、自己有利性で、物事の正義論を組み立てる物です。
    自己有利性を構築しない考え方はどうか。検討するのが歴史学であると考えている。

    人はそれぞれに居り場があります。自分が特別というところはないものです。
   しかし、人は国家を形成した人との契約を忘れて、国家の名の下で、自己有利性を求めている。

   さて、視点を変えて、世界歴史を,単に、人が言っていることをコピーするのでなく。
   批判があっても、日本からの世界歴史観を形成することですね。

   日本という国は、縄文時代を形成点にするか、弥生時代を形成点にするか。古事記、日本書紀、その前の古墳時代を考えるかですね。
   歴史論には風土を無視した歴史観は誤解を与えます。
   風土面では、日本人と中国人、韓国人、シベリア、南西諸島。それに世界は相違する。
   われわれは、欧米歴史観で世界を論じていませんか。

   日本は世界の人類歴史の最終ルツボである。個々の風土は死生観は、すべて許される風土である。一方m、世界の文明国は
   神に縛られた正義論である。
   隣国の中国では(中国の風土をどの範囲に捉えるかですが。)9代まで抹殺の歴史観ですね。

   日本人は欧米の歴史観を勉強して、それを忘れて、日本人からの世界観を広げることですね。

   この面では、世界の歴史講義というが、新規性がありません。それに、創造性も、人類の未来への希望の提案も無いですね。

   奇天烈歴史観を説明していますが。それは遊びでしょう。

   歴史を勉強することは、人類5000万年の歴史から、人類同士の殺し合いから、どのような解放風土を形成するかでしょう。

   歴史は自己有利性の現れれすね。それをどのように乗り越えるかです。
   政治学が歴史を考える独裁国もあります。日本は戦前はそのような歴史観でしたね。

   遊びとして、このサイトはよいでしょう。しかし、人類のためになるサイトではないでしょう。

   歴史は勉強し、忘れて、次に時代のより、人類が共存できる思想や考えを構築する視点を見つける、取り出す視点の歴史間であることを期待しますね。