お疲れ様です。
前田(4)のラスト前ブログとなります。


 

 

iPhoneの待ち受けに表示された「7月」という数字を見て、引退がどんどん近づいているということを実感しました。
残り2ヶ月と少し、インカレの最終日、半フリを泳ぎ終えたときに納得して引退できるようにこれからの日々を過ごしていきたいと思います。


 

 

 

最近はウエイトをかなり増やし、毎回長水路で練習するようにしているのでなかなかいい感じに夏に向けた練習を積めてると思います。


 

 

インカレの前に全国公がありますが、個人種目は片道1本だけ出場します。
他の大学の様子を見ると決勝ラインがかなり高くなりそうですが、今まで全国公はなにかと跳ねているので、インカレ前にいったんここでかましたい心意気です。



 

 

益子(3)が言ってましたが、「戦闘員は得点でしか評価されない」とのことなので、役職戦闘員としての仕事を果たせるように頑張ります。

 

 

 

今回貼る写真が見当たらなかったのですが、前回ブログを書いてから今回書くまでの間に東部があったことを思い出したのでお気に入りの東部の写真でも貼っておきます。

 

 

 

1Ba表彰台独占のときの写真です。

東部の全レースの中で多分2番目に良いレースだったのではないでしょうか。

(女子の2継にはさすがに勝てないです)

 

 

 

 

かなり嬉しかったです。





前置きが長くなりましたが本日のメニュー紹介です。

 

1限 きょうたろう(3)


手書きかわいいですね。

 

 

 

2限 よしき(2)




メニュー説明でがんばろう!って言ってました。

かわいいですね。





ラスト前ブログということでなにを書こうかと思ったのですが、ラストブログで長々と水泳史について書くのも嫌なので、流行りに乗って今回は中学あたりまでの振り返りを書こうと思います。





 

 

わりかし長いです。






 

0歳 ベビースクール
覚えているわけがありません。親といっしょにプールで運動するみたいなやつです。あんまり水に抵抗は無かったみたいなことを聞いた気がします。

 

 

 

幼稚園〜小学2年生 スクール通い
今はなきキッツウェルネスというクラブで友達といっしょにスクールに通い、ワッペンをかき集める日々を過ごしていました。


1番上のチャンピオンスイマーになるとイルカだかシャチだかのワッペンがもらえるのですが、それをつけるのを夢見てました。


たしか、平泳ぎですっごい足止めをくらった気がします。この頃からもうセンスはなかったっぽいです。


毎年キッツ選手権なる店舗ごとの対抗戦が開催されていたのですが、なんか板キックガチ勢だった気がします。種目に板キックがあるっていいですね。


小学2年生秋頃 選手コース加入
細かな経緯は忘れましたが、なんか新しく選手コースができるということでそこのBチームに入ることになりました。



1番最初に担当してくれたコーチは礼儀やらなんやらを重んじる方で、アップの時プールに思いっきり飛び込んだ結果練習から上がらされ、ある日はキックがキツすぎてコースロープを掴んで加速したらまたプールから上がらされ、泣いて謝っても許してもらえなかったことがあります。今ならパワハラとかで勝てるんじゃないですかね。



ただ泳ぎに関してはわりかし丁寧に教えてくれるコーチだったので、タイムは伸びてたと思います。この頃はなんか稲毛インターで開催されてた小さな大会でメダルをとることを目標に頑張ってた気がします。



小学4年生頃 Aチームに入る
細かな経緯は忘れましたがまあまあ速くなってたのでAチームに入れてもらいました。最初に参加した練習は今でも覚えていて、100m12本のATでした。遅すぎてずっと怒鳴られてた気がします。エンデュランス系の練習が嫌いになったのはこの日からです。


Bチームのコーチはとんでもなく嫌いでしたが、Aチームのコーチはすごい僕に合っていました。「敬語はキモいからやめろ」という方針のもとみんな先輩後輩コーチ問わずタメ口で話していて、Bチームで口酸っぱく注意された礼儀をほぼ全て捨て去りました。そのコーチは水泳に関してもかなり貪欲で色々教えてもらえました。


ドルフィンキックはこの時期に教えてもらったもので、教えてもらった当時から今の今まであまり大きくは打ち方を変えてません。そう考えると感謝ですね。


また、この頃後輩みんなを可愛がってくれていた、当時高校生のお兄さんが店舗で初めてJO標準を突破し、そのまま決勝まで進んで表彰状を持って帰ってきました。
なんか店舗全体で盛り上がってた記憶があります。


これをきっかけにJOとやらに興味が湧き、以後そこを目指して練習するようになります。



小学4年生春 
春JOを目指すということに関しては僕はかなり運が良かったです。いわゆる「特年」というやつで、誕生日が早生まれなおかげで年齢的に得をしてたんですね。


この頃からスプリントガチ勢としての片鱗が現れており、50m10本の練習の際にシリコンキャップをつけて挑み、1本目に下からベストタイムを叩き出し、2本目以降は沈没するといった練習を繰り返してました。
絶対にコーチが意図していることとは違う練習をしていたはずなのですが、毎回褒めてくれてたので良いコーチだったなと思います。


スプリントガチな練習の甲斐もあり、半フリで初めてJOの標準記録を突破しました。標準を突破するという経験は初めてだったので、水泳って楽しい!ってこの時すごい感じてた気がします。本番も半フリなのに1秒くらいベストを更新しました。嬉しすぎてダウンなんかせず、レースの10分後くらいには観客席に戻ってたと思います。


小学5年、6年 伸び悩み期
確かちょっと伸び悩んだ時期です。春JOで出したベストをなかなか更新できず、ベストが出てもちまっとしていてイマイチパッとしませんでした。初めてのJOは9歳だったので、小5になったら10歳以下区分で決勝も余裕だろうと考えていましたが、結局決勝に行くことはなく、夏JOの標準記録すら1度も切れませんでした。ちなみにこの頃のS1はFlyです。


たしかこの時期にキッツウェルネスが買収され、クラブ名も変わりました。コーチから軽い感じで「そういや、うち買収されたわ」と言われたのを覚えてます。今まで着ていたジャージのロゴ部分に新しいクラブ名のワッペンを貼り付けて大会に出てました。


中学1年、2年 まわりのみんな速すぎ期
中学に入ると、当たり前ですが県大会に参加することになります。そこでは特年の利点がなく、むしろ今まで1つ上の年齢だと思っていた人たちと同学年として戦うことになるため、絶望してました。みんな速すぎて勝てる気もせず、ちょこちょこタイムは伸びていたもののずっと燻ってた時期です。
当然ながら県大会は余裕で予選落ちです。決勝なんて見ることもなくすぐ帰ってました。全中予選もただの記録会の1つくらいにしか考えてませんでした。
ブログを見る限り、安藤くんはこの頃ブイブイ言わせてたみたいですね。



あとコーチが変わりました。変わるとわかったときはかなり絶望してましたが、次のコーチは元から知っていたのと、知識はあるのにド適当なところが結局自分にマッチしたのであまりモチベは変わんなかったです。エンデュランスが遅くても「おいおいお〜い」くらいしか言われませんでした。スプリント遅い時だけめっちゃ煽られてました。水泳が嫌いになることはなかったので、今考えるとコーチのこの方針はありがたかったです。コーチには恵まれた水泳人生でしたね。



同じクラブのはずなのに金輪際益子に会うことはありませんでしたが、益子の恩師に嫌われたのもたぶんこの時期です。神奈川の血気盛んなコーチからしたら、合宿中のエンデュランスが遅いとき「おいおいおーい」で許せるわけがなかったんだと思います。



神奈川の店舗のコーチやたら怖いんですよね。特にデフォルトガラガラ声のコーチが合宿の担当だとわかった日には合宿前に本気で風邪をひこうとしてました。




中学3年 跳ねる
中2の終わり頃から成長期にも入っていたためそれも相まってか、燻ってたタイムが伸び始めました。泳ぐたびにベストが出ていた時期です。


全中予選の1、2週間前にあった大会で半フリが全中標準まであと0.6秒くらいのタイムを出し、もしかしたらいけるかもしれない!ってなりました。振り返って考えると50mで0.6秒もあるのによくいけそうって思ったなと…


しかし結果的に半フリは割れませんでした。あと0.04秒とかだったと思います。普通に泣きました。ただ同時に、惜しいところまで来れた、年齢が1つ上だと思ってた同学年の人達とも戦えるようになったというのは素直に嬉しかったです。



そしたら翌日なに1つ練習していなかった1フリの予選で大ベストを叩き出し、全中標準を割りました。
嬉しさより驚きが勝ってたと思います。安藤と初めて話したのはたぶんこの日で、まさるが俺のことを認知したのもたしかこの日だったはずです。
僕の水泳人生の中で大きな転換点となった日でした。



その後いつのまにか夏JOの標準も突破し、勢いで半フリは決勝まで行けました。
いつも遠くから眺めていた場所に自分が立てた喜びはすごかったです。



水泳モチベも上がっていたので高校の県総体のスイレコを調べ、リレーが1位だったところに行こう!と思い立ちました。それが渋幕でした。初めて聞く名前の高校で、中学の授業は真面目に受けていたのもあって受験は余裕だろうと思っていたのですが、調べてみると思ってたよりも20くらい偏差値が高く、全中以降死物狂いで勉強する羽目になりました…



おそらく人生で1番死ぬ気で勉強したのはこの半年間で、その甲斐もあって渋幕に入学することになります…
そしてついに「最高じゃねえか!」でお馴染みのあの方と出会うことにもなります...
 

 

 

 

以上が中学までの振り返りになります。
ラストブログ何書くか全然考えてませんがお楽しみに!



それではこのへんで。



Be One