こんにちは


先日卒業式用の袴を選んできました👘



かわいいでしょ〜〜^_^



どれもかわいくってウキウキでしたがもう卒業式のことを考える時期かーとしみじみしています。
あゆみとのりこも着ようね^_^


というわけで本日は4年の藤倉がブログを担当します。


まずはメニュー紹介から。








ななは(2)作

ファーストメインの25×4×4が長かったです😇
UWは急がない代わりに1回1回丁寧にしっかり打つことを意識しました。感覚は結構よかったです👌

帰りのhardは呼吸しないようにすると頭突っ込んじゃうのを抑えようとしましたが、長年の癖をなおすのはなかなかむずいです。ただこれは意識するしかないので頑張ろうと思います。

それと、なんか最近25泳ごうとするとストローク数が増えてしまうのが悩みです。
力んでいるっていうよりはスカスカな感じです。

50でも潜る距離同じなのに、行きより帰りの方がストローク数減ってたりします🤔

もうちょっと落ち着いて泳げるようになりたいです。


あと、終わったあと副将(3)に「意外と速いっすね笑」みたいなことを言われました、舐めすぎです。
1ぶれを1ばたでボコボコにして黙らせたいところです。



メインはあんまりよくなかったです🥲
そこまではkickもpullも悪くなかったのに、いまいちテンポが上がらなくて、なのにすごい疲れやすい感じでした。

うにゅーーーん😵‍💫


最後のdiveは息するの忘れましたが感覚は悪くなかったです。
明日は呼吸忘れないようにします💪













さて、引退まであと3ヶ月を切り、このブログを書くのも残り2回となりました。

つまりラスト前ブログです。



競泳陣の方はご存知の方も多いかと思いますが、私は「ラスト前」を大事にしています。


かつてのコーチに

「ラストはサルでも頑張れる、ラスト前から頑張れるかが大事だ」

と口酸っぱく言われてきたからだと思います。(帰納的にメニュー全部がんばれと言われそう)



みんな、ラスト前から頑張ろうね😉

(この書き出しをしたいがために颯太郎(4)の煽りニモマケズ、ラスト前まで我慢しました)



さてラスト前ブログのテーマはありきたりですが大学入学までの振り返りとします。


たぶん長くておもんないので読みたくない人はここで終わりにしましょう。




Be One












































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小学校
3年生まではスイミングクラブAの、いわゆる学童コースに入ってました。
週1回、泳げるようになろうね〜みたいなコースです。

2ヶ月に1回昇級試験があるのですが、バタ足の試験に4回連続で落ちて、半年以上18級で止まってたことだけは覚えています。
高校生のときはバタ足がS1だったのに、こんな時代もあったんですね^_^



そんなこんなで(?)、3年生の冬にクラブAが潰れることになりました。

この時点で4泳法それなりに泳げていたらどこかの選手コースに入れたかなぁと思うのですが、なんとまだバタフライを習ったことすらなかったのです。


翔くん(3)がJOでブイブイ言わせてた頃でしょうか。
まだわたしはJOのじぇの字も知りません。


なんとかその状態でも受け入れてくれた別のクラブBの選手コースの1個前みたいなコースに突っ込まれました。
結局バタフライの泳ぎ方は誰からも習っていない気がします(でもこのときはまだ前向いてます^_^)。



4年の冬に2こめで3分切れたので、姉が通ってたクラブCの選手コースに入ることになりました。


選手コースに入るにあたり、S1(仮)を決めることになりました。

Brは当時から壊滅的なのでナシ、Frは運動神経悪いからスプリントでは戦えない(50m走に10秒かかるタイプの子供でした)、じゃあBaかFlyかぁ、まだFlyの方がマシかなぁ

というわけで誰からも習っていないはずのFlyがS1になりました。
(いや、Brも頑張ってくれ、そのあとの水泳人生後悔するから。)



とにかくひたすら泳がされるところだったので、根性は鍛えられたと思います。🙂

コーチがまあスパルタで、練習頑張らない系ガキ藤倉は毎度毎度バチボコに怒られていました。(当時はなんで頑張ってるのに怒られるんだろうって思ってました)
8:30までの朝練で居残りで12:30まで残らされたこともあります(美談とするつもりはないです全然🙃




5年生の夏の大会では市大会で勝てず標準記録も切れず、1バタの県大会に出られませんでした。

6年生になって、やっと1バタで県大会出られました。JOなんてもちろんかすりもしません。たしか県大会で1:20切って喜んでた気がします。かわいい。




中学生になって、半強制的に2バタが始まりました。


1年生、距離だけは泳がされていたので100の割にはマシなタイムで泳げていましたが、いかんせんトップスピードがないので県予選で12位敗退、あっけなく夏が終わりました。


しかし9月の新人戦、4秒ベストで優勝しました。成長期の始まりです。
あ、ちなみに群馬の新人戦は関東以上でた人は出られないという謎ルールがあるのでたぶん他県の人が思ってるほどはすごくないです😇
100の記憶なくて調べてみたら、200の入りの0.4しか変わりませんでした。当時からやっています。



ここからはさすがにちょっと水泳楽しかったです。
泳ぐたびにベストが出る、練習タイムもどんどんあがる。相変わらずコーチにはしごかれてましたが。



1年で10秒以上あげて、2年生の夏は危うげなく関東に出場しました。
しかし初めての遠征は、同室ネキが深夜まで電話する社不で全く寝られず、カスみたいなタイム出しました、トラウマです()
今だったらブチギレられるんですけど、13歳のりほちゃんには電話やめてくださいが言えなかったみたいです👶

初関東は激渋で久しぶりにベストが出ませんでしたが、それ以降は順調に成長期を続けていました。

そして2年生の冬、短水ではありますが初めて全中の標準記録を切り、初めて「全国大会」を意識し始めました。
もちろん本番は長水路ではありますが、短水と長水のタイムが2-3秒しか変わらなかったこと(??)と当時の伸び率を考えると、期待せずにはいられませんでした。





3年生


さあこのままラストシーズン、やり切ったら気持ちよく引退できた、、、はずでした。



6月に通っていたクラブが潰れることになりました。



え??なんで今???
しかももう4月、あと2ヶ月、、??
せめて県総体が終わる7月まで、、、って当時は何度も思いました。




ただ悲しんだって時間は止まってくれません、大急ぎで代わりのクラブを探しました(ママが)



いくつかクラブを回りましたが、クラブDに移籍することになりました。
ご存知の通り、swimでwinみたいなところです。



ここでボコボコにされました。
まずupの4コメ6分が回れません。メインのショートサイクルはもっと回れません。

元のクラブで体力はついていたのですが、基礎泳力が足りませんでした。1:20/100m 回れなかったくらいなので、、
それでもがむしゃらに頑張ることだけはできるので毎日必死についていきました。



運が良かったのか、前のクラブで鍛えられた根性とこのクラブの練習量が上手くハマり、7月末の県予選、無事全中・JO標準を突破することができました🌸(JOはオンタイムでした^_^)


余談ですが決勝はそこから1秒以上落としました。
((群馬県水連はもっと予決ある試合作った方がいいと思います、私は今でも予決弱いです🙃


しかし初めての全中・JOではベスト更新ならず、当然決勝なんて届くわけもなく、ただ、あまり悔しいとも思いませんでした。
こんな場所で泳げてよかったなあくらいの感想です。あまりのろーてぃー。
あ、ちなみにまだ前を向いているので長岡には横向いてた人はいません^_^


まあ本番はいまいちだったけど、最後の年に花開いて初全国よかったね、めでたしめでたし〜
















だと思っていました。
しかし、なぜか夏の試合が終わっても練習を続けていました。

あれ、9月の県選手権までかな、と思いきや10月も、11月も、12月も泳いでいました。

泳ぎ続けた理由を強いてあげるなら、「誰からも辞めるように言われなかったから」な気がします。



こんな消極的な理由でしたが、この半年で練習はメキメキ強くなりました。

upの4コメはちゃんとDesできるようになったし、1:20/100mが回れなかったのに1:15で30本回れるようになりました。



ただ練習の伸びとは対照的に、目に見えてタイムの伸びは悪くなりました。

短水路ではちょこちょこベストが出るけれど、長水路ではぱたっとベストが出なくなりました。

停滞期の始まりです。

このときは、夏大ベストだったし、とあまり気にしていませんでした。








さて受験休みもなく(?)、高校に入学。


1年目の夏はインハイにかすりもしませんでした。
1年前のベストと同じくらいでした。
さすがに1年間ベストが出ないことに焦り始めます。


クラブのコースが特種目のコースから長距離のコースになりました。(練習泳げるようになったから)
800Frと200Flyをやっている先輩がいたのですが、毎練習ボコボコにされていました。




そして2年生になり、ベストが出ない状況にも慣れてきました。(ダメ)
この頃には右向いてましたね、どこからかは明確にはわかりませんが^_^

しかし6月、実に2年ぶりに2秒以上ベストを更新しました。なんとなんと急にインハイ標準・国体標準を突破。



正直何が良かったのかはわからなかったけど、この時のレースの感覚だけは今でも覚えています。
全然疲れなくて、エネルギーが無限に出てくるような感じで、人生で1番気持ちよく泳げました。



ああ、これまで苦しんできたのはこの夏に光るためだったんだ




本気でそう思っていました。

しかし迎えた関東大会、ベストから1秒以上遅れ、インターハイにはまたしても手が届きませんでした。

視力悪くて、泳ぎ終わった直後はタイムが見えませんでしたが、感覚的に切れていないだろうなーとわかりました。



なんで切れないんだろう、実力が出せれば切れるはずなのに、どうして力が出し切れないんだろう



さすがに悔しかったです。



ちなみに国体も前述の同じクラブの先輩に枠を取られたので出られませんでした。
(群馬は人いないので、大体は標準切ったら出られます)



悔しくて悔しくて、最後の夏、絶対にインターハイに出てやろう、ということだけを目標に掲げ練習に取り組みました。
冬くらいまでは泳ぎ込んでいても夏と同じくらいで泳げていたので悪くなかったと思います。
短水ではちょいちょいベストも出てました。


また、この時期に初めて関東レベルの合宿に参加しました。
他県の選手のレベルに圧倒され、のちのライバル(?)に出会ったのもここでした。





しかし春ごろから様子がおかしくなってきました。



これまで回れていたサイクルに回れない、これまで泳げていたタイムが出せない




レースのタイムも落ちてきました。







あんなに調子の良かった去年ですら切れなかったのに、こんなに調子が悪くてどうしよう、と毎日不安で泣いていました。



インターハイに出たいという気持ちはあったけれど、漠然と「今年は無理だろうな」という気持ちが芽生えました。
  










そんな気持ちで迎えた最後の夏、みんな揃っていたと噂の山梨屋外プールで私の最後の夏が終わりました。(正確には最後に県の大会出ましたが、インハイない3年生にとっては消化試合です




悔しいという気持ちももちろんあったけれど、当然だろうなと感じている自分もいました。だって気持ちで負けてるもん。











最後はこんな情けない感じだったけれど、それでもやり切った感はありました。


テスト前でも週7回の練習を休んだことは1回もなかったし、最後は調子が悪かったけど、悪かったなりに毎日一生懸命練習には取り組んでいました。


贔屓目に見ても、練習はよく頑張っていたと思います。


これだけやってもベストが出なかった、
じゃあもう無理なんだ、

ここまでよく頑張った。







そう考え、大学で続けようという気持ちは全くありませんでした。
大学生になったら水泳部のマネージャーになろうかなーとか考えてました。











そこから1年半(???)はお勉強してました。
親に連れられて市民プールに数回行きましたが、両手があれば足りる数だったと思います。



ただこの期間で激太りし、大学生になったらさすがに何か運動した方がいいなーと感じました。
しかし前述の通り、私は運動神経激悪ガール、体育では何やっても人並み以下でした。


また水泳やるかー、それしか選択肢ないし


そんなこんなでなんとか大学に入学し、視野狭窄なおかげで(?)他の部活・サークルには目もくれず、競泳陣に入ることになりました。




ちゃんちゃん

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以上大学入学前までの水泳史でした〜




うーん今見ても中学が最盛期です。
身長と一緒に成長期が止まってしまった、女の子には多いパターンだと思います。



今思えば、(現在にも通ずる課題ですが)言われたことしかやらなかったことが敗因な気がします。

言われたことはきちんとやるタイプなので、それで伸びた部分ももちろんあると思います。

ただ、成長が止まってしまったとき、頭をもう少し使おうと思えたら、違う結果になっていたんじゃないかな、と思います。





あと、ここまで水泳続けてたのは運が悪かった(良かった?)からだなーとも思います。

クラブCが8月まで続いていたら私は絶対に中学で引退していたし、現役で大学に入学していたらマネージャーとして競泳陣に関わっていたと思います。


月並みな言葉で言えば「縁」があったのかもしれません。






なんてことを思いつつ、夜も更けてきたので今日はこの辺りで失礼します🌙


それでは、ラストブログでまた会いましょう〜


Be One