こんにちは,本日のブログは笠原(4)が担当します

 

 

本日は春季公認1日目ということで早速1日目の結果をお送りします

 

 

男子100Fr
佐々木翔(3) 54.36
堀壮介(4) 54.04
岸川瑞(2) 59.85★Best★


男子400Fr
野田周平(3) 4:23.68


男子100Ba
市川大祐(3)1:03.32★Best★歴代第15位★


男子50Br
佐々木翔(3) 29.62
若林拓海(4) 31.76


男子200Br
羽賀遼太郎(4)2:25.99
横田海八(2) 2:33.25


男子50Fly
後藤和希(4) 27.84


男子200Fly
伊藤大輝(2) 2:05.96


男子400IM
長谷雄真(4) 5:03.05★Best★
榮川眞太郎(4) 5:12.07★Best★


女子200Br
小野﨑歩(4) 3:04.38


女子200Fly
藤倉璃保(4) 2:19.58
小野七晴(2) 2:23.76★Best★歴代第3位★


女子400FR
4:25.00★初Best★全国公突破★
藤倉璃保(4) 1:00.73★Best★歴代第2位★
西村和花(1) 1:07.51
小野﨑歩(4) 1:14.33
小野七晴(2) 1:02.43

 

 

 

出場選手,帯同のマネさん1日お疲れ様でした。あともう1日,良い結果出せるよう頑張ってきてください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふぅ

 

 

 

 

 

 

 

 

大会のあいだ留守番して,部員の結果をブログに載せるのはなかなか新鮮ですね

 

 

パッと見た感じ,渋そうなオーラが結果から漂ってきているのですが会場はどうだったのでしょうか?

 

 

 

こちらでは,4コメ勢がどっちもベスト出していて英俊さん(4)が「いいんじゃないのーこれ」みたいなこと言っていました

 

 

あと競泳陣鬼の副将(3)はズッ友(3)の100baに対して「あいつ甘くね,俺の1ブレの-1sくらいやろ(要約)」とコメントしておりました。

 

ベストおめでとう,まだまだ精進してください。

 

 

 

さて,春季公認組がきっと会場に向かっているころ留守番組はメニューをこなしておりました

 

 

 

↓本日のメニュー 200Fr凸おじさん(4)

 

 

 

 

春季公認2日目のみ町田に降臨するとのうわさの彼はこのメニューを消化してから200Frに挑む算段のはずでした

 

 

 

GWの最終日まではね

 

 

 

 

そんな彼は本日姿を現しませんでした

 

 

 

 

仕方ないね

 

 

 

 

作成者が不在の中,メインの50*8 2:00をとにかく集中すべしとのメッセージを我々は受け取りました。自分はGW中に至った「頑張っても,その分だけ速く泳げるとは限らない」という結論から出力を試行錯誤しながら泳いでました。頑張らないという訳でなく,出力だしてもその100%全てが泳ぎにつながってない。タイムに比してロスが大きいと気づいて,コスパよく速く泳ぐという意識を最近強めてます。

 

 

特に200Frに関しては,これまた問題なのですが出力調整をいまだに掴めていません。自分のなかで感触を持ちつつある400Frの泳ぎをベースにして200Frの泳ぎを組み立てる練習に使いました。案の定,今日イメージした"400Frの"泳ぎは以前まで"200Frの"泳ぎで出してたタイムと同じくらいかつ,楽に長く出すことができました。振り返り込みですが,自分はトップスピードが遅いかつキープする持久もないが,トップスピードの9割から9割5分くらいならコンスタントに出せるという性質を生かすしかないのかなと今更至りました。

 

 

 

という感じで試行錯誤とがむしゃらを併せながら練習してます,近況報告でした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて,4年生になりブログ書く回数ももう片手で数えきれるのかーと思うことがありました

 

 

なんとなーく終わりにかけての残り数回のブログテーマは考えていて,今までの水泳人生を振り返ろうかなーと思っていました。ラストブログにまとめて書いてもよかったのですが,小学校~現在までの10数年を一つにまとめると,中だるみしそうなのでラスト前ブログから書くつもりでした

 

 

 

 

しかし,女子主将(4)もアンドゥーも同じことを考えていたらしいんです

 

 

 

 

 

さすがに渋くねー?

 

 

 

 

 

なので,ラストブログ込みの3回で「自分の水泳人生史」縮めて「自分史」(うっ頭が...)を書いていこうと思います。こういうのは先手必勝,早くやったもん勝ちなのでね。

 

 

 

 

 

 

少々長いですが,せっかくの水泳人生,濃ゆい経験をしてきた自負があるのでお付き合いください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分史」の記念すべき初回は選手スタート~中学生編,「勘違いダイエットスイマー編」です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて,地元のスイミングクラブ(以降は東光)に入ったのは親の意向でした。多分聞いた限り喘息に良いだとか,泳げた方がいいとかそんな類が始まりでした。実は名古屋にいた時期のあった私は東光の前に名古屋のスクールに通ったそうでその事実は覚えているものの,残念ながらプールのことを全く覚えていません。

 

 

覚えているのはたぶん駐車場に来ていたわらび餅屋くらいです

 

 

名古屋でスイミングスクールにいたのだから,さぞ順調に級が上がっていくのかと思いきやそんなことはありませんでした。まず鼻から息を出せませんでした。これえぐかったらしいです。あと水中ジャンプ。これも詰まったらしいです。よくわかりません。

 

 

でも年長時代は大きかった私はその身長だけ買われて(きっと)選手クラスに入ることになりました。

 

 

 

↓真ん中の後ろ

 

 

 

正直本格的に選手生活が始まった小学校低学年の記憶はあまりありません。ところどころある衝撃的なエピソードは間違いなく,今振り返れば水泳に向いてないクソガキでしょう。

 

 

 

①コーチからダイエットしなければ選手を辞めさせるといわれる

これ小2くらいですか。背が大きいと言ってもごまかしきれない体重は学校の健康診断に引っかかりました。ガチのやつで血液検査受けました。当時は深刻に捉えていなかったのですが,親にコーチがこんなこと言ってたーと報告した瞬間,週1回のおかゆデーが決定しました。無事痩せて選手を続けています。

 

 

②「なんで練習頑張らないの?」と聞かれる

小1から小3くらいまでよくプールサイドに立たされていたから時期はわかりません。自分の記憶では単純にタイムが遅かっただけです。それを見てコーチが「なんで練習頑張らないの?」と聞いてきました。答えに悩みました。早く説教おわらないかなー

 

 

 

 

 

そして導いた答えが

 

 

 

 

 

 

 

「頑張りたくないから」

 

 

 

 

 

 

 

 

くそです

 

 

 

 

 

こんな感じで大して速くないくせして向上心もない化け物が生まれました。クラスの維持コストしか掛かりません。

 

 

 

小学校4年生の時,そんなくそスイマーのもとにある転機が訪れました

 

 

 

 

自分と違いちゃんと頑張り,上のクラスに一足先に上がっていた同期,幼なじみがJOのリレーで優勝しました。リレーだけでなく,個人でも全国を戦い選手クラス全体が湧いているのを小さいながらに感じました。実際スイマガの取材も来てましたしね。ほんとにすごいなーと思いました。それに比べて,自分は...と感じたのもこの時です。

 

 

気持ちが変わったから速くなるわけではありませんでした。小5の時には,東光がJO以外の全国大会として出向いていたトビウオ杯の留守番を食らいました。これ覚えてるなーだからなのか分かりませんが,少なくとも来年は行けるように頑張ろうと思ったはずです。

 

 

そして小5の終わりかけ,初めて骨折しました。原因は跳び箱でした。ダサいですね。今だと大焦りするものですが,当時は多分何も考えていませんでした。筋トレして早く帰る生活が数か月続いて,ビニール袋巻きながらキックをして,ようやく泳げるとなったとき,なぜか速くなってました。ほんとにわかりません。小6になって履き始めた初代GXの力かもしれませんし,身長を扱えるようになったのかもしれません。それでもリレーに選んでもらえるようになったし,小6ではおいていかれずにトビウオにも行けた。

 

 

何より同期が速すぎるおかげで初めてのJOも夏にリレーで連れて行ってもらいました。シリコンキャップが支給されたのは嬉しかったですね。この時期は波に乗っていました。個人でも100FlyでJO狙えそうだったし,速くなったから知り合いも増えた。最初に水泳が楽しくなった時期な気がします。

 

 

さて,残念ながら小6の春JOは切り損ねました。この頃からいまにも通ずる問題,スプリント力問題が薄々とよぎるようになります。50Flyより100Flyの前半の方が速いなんてざらでした。当時は笑っていましたが,これかなり恐ろしい現実ですよね。これが後々(今も?)直面する問題となります。

 

 

さて春JOはリレーでどこまで行けるのかという戦いでした。というのはおこがましく,強い同期をいかに自分が邪魔をしないかという心持でした。メド継に関してはチームもかなり本気で優勝を狙っていました。しかし,予選の引継ぎ。私は-0.04のフライングをしました。

 

 

本当に衝撃的で,今も忘れられません。予選はエントリータイム上は問題ありませんでした。よくわかっていたはずなのですが,なぜか狙いに行ってしまいました。初めてレースで泣いた気がします。泣いて謝ったあのJOは今振り返ると大きな分岐点でした。

 

 

こうして調子に乗った鼻を自分の手でへし折り,謙虚でいようと痛感して小学生は終えました

 

 

JO後,どうやって一発目の練習を迎えたのかは忘れましたが,変わらず楽しい思い出しかなかったのは同期に恵まれたということでしょう

 

 

 

 

 

 

中学生になっても生活はあまり変わりませんでした。というのも中学校は小学校と隣に位置して生活圏は全く変わらず,ノンストレスだったからです。部活はというと東光のメンツが中学で同じになり,水泳部は強くなりそうで楽しみでした。

 

 

 

振り返ると水泳史の中で中学時代を表現する言葉がありました

 

 

 

それは「停滞」です

 

 

 

ベストが出なかったわけではありません。夏の長水路シーズンを終えたらその分短水路シーズンで爆発するし,コーチからも練習の賜物だなと言ってもらえるレースもありました。でもどこかで現状維持感が拭えませんでした。小学校の時競っていたライバルはどんどんタイムを伸ばしてあっという間にJO常連になりました。

 

 

 

中学になると下からの突き上げも実感して,速い年下に負けることも経験しました。幸いにも参加できた県合宿ではマジでわからされました。何ならガチ速小学生にも出会い,刺激をもらいつつも「思い描いた成長直線とはかけ離れているけど,これどうすればいいんだ?」マジでこんな感じでした。

 

 

 

そしてこれも幸か不幸か,JOはリレーで目指せる環境にありました。世代トップの同期が心強すぎると,圧倒的なマンパワーでJOが見えてしまうのです。本当に幸せな環境でした。全国トップが同期にいて,一緒に練習できるかつリレーも選んでもらえて半年に1回のJOも目指せる。勘違いスイマーの私はJOに行ける当時の環境に満足してしまいました。

 

 

その満足が全国へのハードルの高さと自分の泳力とを見失う原因となりました。中2の新人戦で出したベストにこの伸び幅なら来年の全中予選で標準を割れ「そう」だと感じて,切れてもないくせに謎の余裕を持ち続けました。

 

 

 

謎の余裕は中2春のJOにリレーで出たことでなぜかさらに助長され,勘違いスイマーが極まりました(このJOでみんな大好きMNT先輩と同じ組で.......はなかった)。

 

 

 

 

そして迎えた中3のシーズンはこれまたぬるっと終わります。個人では全中にかすりもしなかったものの,チームで2つリレーを切ることができ,新潟全中には参加できました(当時S1がFlyだった私は200Flyをみていたはずですが,特徴的な女子主将の泳ぎを目にとめた記憶はありません)。

 

 

ほんとにただの観光客でした。東光の同期,埼玉スイマーのバチバチやりあうところを現地で応援できてよかった一方で,高校水泳で,どうすればIHの舞台に立てるのか?と考えるようになります。

 

 

 

そして全中終わって引退後,東光から巣立つために浦高への受験を成功させるべく勉強期に入るのです。

 

 

 

 

 

 

勘違いダイエットスイマー編 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

振り返ると小中の東光時代は楽し「過ぎ」ました。練習は苦しかったけど,なにより勘違いのせいで本気で向き合えていなかった。練習から逃げても,全国大会という楽しい舞台を味わうことができてしまった(勝負ができず,参加で精一杯だから全国の舞台も「楽しい」の一言で片づけられてしまう)。

 

 

 

環境は恵まれていて,常に練習仲間に恵まれて,幼なじみである同期も多かった。そんな名残惜しい環境も,高校受験を機に環境替えを決意しました。それが浦高でした。

 

 

高校では私立のクラブ組が優勢の中で,浦高は学校練で県内とやりあっていました。学校見学の時,まとめられた数年分のメニューをみました。進学校がやるメニューなのかと疑うとともに,先輩方の強さ,ここで選手が伸びるわけをなんとなく感じました。

 

 

東光は名残惜しいけれど,水泳と,高校の学校生活どちらもうまく両立できるのはここなのではないか。

 

 

 

そう考え,必死こいて勉強し,つかみ取った場所で性根を叩き直されたのはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

Be One