毎回ブログ長くない?と言われました。私もそう思います、が推敲するには時間がなくて。たいてい翌日に大会2日目か朝練かが控えているので、睡眠時間は極限まで確保したいんです。明日はフルタイムでバイトです、頑張ります。
......こういうこと言ってるから長いんですよね、反省します。
お察しの方もいるかもしれませんが、本日は越前(1)がお届けします。
 
本日も東京アクアティクスセンターにて2023年度東京都新春水泳競技会の2日目の競技が行われましたので、結果をご報告いたします。
 
男子400Fr
笠原颯太郎(3) 3:57.55
 
男子50Br
松本恭太郎(2) 27.40
中西祥旗(1) 28.70
 
男子200Br
中西祥旗(1) 2:14.66★Best★歴代4位★
 
男子100Fly
佐々木翔(2) 55.67★Best★歴代7位★
松本恭太郎(2) 54.14★Best★歴代2位★
 
男子200IM
佐々木翔(2) 2:03.33
 
今大会、私はエントリー責任者をしていたのですが何箇所もミスしていて本当に都水協の皆様に申し訳ないです😢記録担当の方が優しくてホッとしましたが今後はちゃんとミスないように頑張ります。トリプルチェックだいじ。
そして、1日目はエミリーさん(3)、2日目は瑞季ちゃん(1)が大会デビューでした👏2人とも初めてとは思えない手慣れ方で流石の一言です。今後一人帯同なども増えていくと思うので、冬の大会シーズンでどんどん慣れていってほしいなぁと思います〜
 
次の大会として、交流試合という形で来週13日に我らが二食プールで五大戦が行われ、公式戦では19-21日にKOSUKE KITAJIMA CUP 2024が、同時に20-21日に第1回関東学生ニューイヤー公認記録会が行われます。2月にかけて、期末試験を挟みながら大会ラッシュが続きます。体調を崩しやすい時期でもありますが、しっかりとコンディションを整えて一つ一つの試合で全力を尽くしますので、引き続き応援よろしくお願いいたします。
 
 
 
 
 
さて。
雑談は何を話そうか、と思いましたが、3月にはほぼ試合がなくブログが回ってくる可能性も低そうなのでこの話をしようかと思います。今日も長くなる気がしているので、事前に謝っておきます。ごめんなさい。
 
年明け早々、緊急地震速報が鳴り響きました。ついていたテレビがこの音が訓練ではなく本当のものだと伝えています。想像していたよりは小さくも独特な長さに嫌な記憶が蘇ります。直後に流れたM7.4震度7、震源は能登半島にほど近い浅海底、という速報を見て、思わず納得しました。
 
2011年3月11日14時46分。私は当時年長で、幼稚園バスのなかにいました。赤信号で止まっていたら、突然大きく揺れ始めるバス。サスペンションの影響か、その揺れにジェットコースターのような楽しさを感じます(この楽しさが恐怖によるものだったと気付くのは先の話)。あの時の揺れも体感で2〜3分くらい、ほんとに長かった。揺れが収まって顔を上げたとき、交差点の向かい側にある眼鏡店のショーウィンドウが粉々になっていたあの衝撃は、忘れようにも忘れられません。
私の家は内陸側なので津波の影響はなく、家も塀が若干崩れて急須が割れたくらい。幸運にも親類で犠牲者も出ませんでした。でも当然そんなこと、県外の人は知りません。宮城出身だ、と言うと震災酷かったよね、津波とか大丈夫だったの?とか言われます。なんと言えばいいのか言葉に詰まり、気まずい空気が流れます。
 
被災者って、何を以て被災者と言うんでしょうか。被災地って、何を以て被災地と言うんでしょうか。
世間一般で想像される「被災者」像と私は大きくかけ離れていることには違いありません。では私は被災していないのか?というとそんなことはありません。果たして自分が震災を語っていいのか、ダブスタに悩んでいました。それが変わったのは高校に入学し、震災「被災地」で災害教育の研究を始めてからのことです。
本当に自分が震災を伝える立場になっていいのかまだ迷っていた頃。地元の方の被災体験を聞かせていただいて、フィールドをいつも通り回っていた時でした。
「そういえば震災の話するのって舞ちゃんが初めてだ」
体験記の取材も大学の研究の取材も断った方が初めて伝えた相手が自分で良かったのか。思わず怪訝な顔をすると、その方は続けてこうおっしゃいました。
「私たちはどうせすぐに死んじゃうしね。ちゃんと聞いてくれるしちゃんと活かしてくれる、って信じられたから話せたんだと思う」
その言葉は本当にありがたくて、でも同時に責任の重さを感じ、そして覚悟が決まりました。確かに自分の周りの被害は小さかったかもしれない。けれど私たちには「被災地」と呼ばれ得る地にいた者として震災の記憶を他の地域の方々に、そして後世に確かに伝えていく必要がある。「避難しない自分を説得して避難させてくれた方が亡くなった。私たちよりもあの人が生き残るべきだった」研究の過程で読んだ体験記。生き残ったことに対する罪悪感と謝罪、後悔を何度も目にし、その度心に刺さりました。
 
もうこんな後悔、誰にもさせたくない。それが高校から今まで続いている、「防災」への私の思いの原動力になっています。どのアプローチがいいのかずっと迷いながら、進振りも方向性だけは決まった気でいました。
しかし今ひとつ悩み始めたことがあります。高校時代への回帰、すなわち「教育」を扱うかどうかです。SNSに情報が飽和するなか、地学オタクとも言える私は地学的なデータを見て誤情報を遮断できました。けれど地学教育は衰退に向けた悪循環を辿っており、そうやって取捨選択できる人はほんの一握りです。地学をもっと活発にすべき?あるいは「防災」と言うような新しい科目に統一すべき?それについて研究してみる?迷いでいっぱいです。でもこの「防災」と言う軸は曲げたくないですし、だからこそ真剣に迷っています。
先日、FairWindで被災地支援チームが立ち上がり、私も参加しています。今自分にできることからひとつずつ、そっと誰かに手を添えられる人間でありたい。半年間、今後の進路をじっくり考えてみようと思います。
 
改めて本災害における犠牲者の方々のご冥福をお祈りし謹んで哀悼の意を捧げます。
2024年、頑張って自分が関わるべき「何か」を見つけられたらいいなと思います。そろそろ眠いのでお暇します。今年一年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
Be One