思えば、2013年のあの日から「2020」という数字の並びになにやら魔術的な響きが伴い始めてもう7年と3ヶ月になるんですね。
ただ漠然と念頭に置かれる「近い将来」として、あるいは特需の後に振り返られるべき戦後日本の墓標として、人生を一変させることができる夢の舞台として、あるいは「近過去」への回帰、もとい模倣として、
僕自身も2020年が始まる時には、自分には特別関係がある訳ではないのに「いよいよか」なんて思っちゃいましたし、
各種メディアの皆さん方も多少の差こそあれ「2020」という語に問答無用の「めでたさ」を助長していましたような気がします。
知人友人の誰も彼もが、あるいは何かしらの媒体を通じて見る「どこかの誰か」でさえも、2020年について語るとき、現在と未来を(ひょっとしたら過去さえも)区切るものとして、漠然と視線または意識を空に向けていたよう思いますし、
まず間違いなく足元も見ながらそんな話題を持ち出すやつなんかいなかったように思います。
僕らは皆、曖昧模糊とした期待感に身を委ね、「その後」について目を向け無いようにしつつ、空を見上げてアホみてえに口をポカンと開けたままこの年を迎えたといっても、僕の身の回りに関しては差し支えないでしょう。
2020年とその年に行われるべき某祭典に対する意見は皆さん十人十色でしょうし、このブログを読んでいるヒトの中にも思う所がある人は大勢いらっしゃるかも知れませんが、
少なくとも2019年末において、我々大衆の意見は概ね以下の点で一致していたでしょうし、もしかしたら今もそうかも知れません。
2020年はきっと特別な年になると。
さて、そんな予感が最悪の形で現実のものとなってしまった2020年も残す所あと僅かとなってしまいましたが皆さんいかがお過ごしでしょうか。
そんな記念すべき日のブログは、最近ブログの更新が滞っていることに関して、明確に責任者という訳でもないのに、ただ人よりちょっとブログを真面目に書くタイプだっただけでお叱りを受けるようになった鈴木(3)がお伴いたします。
拙筆ご容赦のほどを。
さて、今日のメニューは嶋田(2)作のこんなメニューでした。
ほぼほぼ、というかまるっきり去年の神谷さんの50×108のメニューのパクr もといオマージュでした。
ただ全員がこれをやったという訳ではなく、年明けの新春大会がある人なんかはフリープランの練習を各自やっていました。
年末年始の任意期間はこうゆう自由な雰囲気が好きです。
メニューをやった人は結構しんどそうだったので大晦日はあまり夜ふかしせずにしっかり休んでもらえたらなと思います。
嶋田も今年1年の煩悩を振り払って来年は丸くなってくれると嬉しいです。もろちん体型的な意味ではないです。
当たり屋的に来年の目標をそこらへんにいた後輩に聞いた所、
山田(1)100Br全国校標準切り
新井(2)100Fr全国校出場、50Fr歴代記録
だそうです。今年は全国校がなかったぶん、来年は頑張ってほしいですね。
もちろん僕自身も頑張って全国校に出たいと思います。
はてさて、上記のメニューの下敷きにもなっている除夜の鐘。
108あるとされる人間の煩悩を滅するために毎年大晦日に108回鐘を衝くというのは皆さんご存知かと思いますが、
具体的に108個あるとされる煩悩の内容はどんなものなのでしょうか(クソまとめ並感)
謎の真相を追い求めて峻険な山々を踏破し、未開のジャングルに分け入ってwikiや様々なサイトを閲覧した調査隊の報告によると
108の煩悩には、おもにその分類において諸説があるようで、しかも108は人間の煩悩を理解するための指標に過ぎないらしく
色即是空空即是色なこの世の中における各所各所の煩悩にはそれこそ数限りがないとされているそうです。
まあそんなこんなでここではいくつかある説のうち六根説を取り上げてみると
六根(人間の五感と心。すなわち、眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六つ)
×
六塵(六根が働くことによって産み出される情報。すなわち、色(しき)・声(しょう)・香(こう)・味(み)・触(そく)・法(ほう)の六つ)
×
好(こう)・悪(あく)・平(へい)
(六塵に対する感情。好は快、悪は不快、平はそのどちらでもない)
×
染(せん)・浄(じょう)
(好・悪・平で分けられた感情はさらに二種類に大別される。染は汚い感情、浄はきれいな感情を指す)
×
現在・過去・未来
の6*6*3*2*3で108となるというのが六根説です。
また、煩悩の根幹にあるとされる概念に三毒や五蓋があり、それぞれ
貪欲(三毒の1つ。万物を必要以上に求める心)
瞋恚(三毒の1つ。憎しみ。嫌うこと、いかること。心にかなわない対象に対する憎悪。自分の心と違うものに対して怒りにくむこと。)
愚痴(三毒の1つ。真理を知らないこと。妄想・鈍さ・混乱を指す。別名無明)
貪欲
瞋恚
昏沈(心の沈鬱。ふさぎ込むこと)
掉挙(心が昂ぶり頭に血が上った状態)
擬(四諦に対する躊躇。)
とされているそうです。
このうち特に三毒は苦の根本的な原因の1つとしての「愛」(対象への精神的・肉体的な乾き)と関連づけられるそうです。
いやあこう考えてみると、最近よく聞く「近所からの苦情で除夜の鐘を衝くのをやめた」みたいな寺院は近隣住民の
煩悩の1つたる瞋恚に敗北したということになってなかなかおもしろいですね。煩悩を滅するはずの寺院なんだから
「貴様煩悩まみれじゃな!!キエエェェ!!\\ゴオオォォォン!!*108//」
ぐらいしてくれてもいいような気がします。神輿担いで京都の町に乗り込んでたころの気概を忘れないでほしいもんですね。
ブッダと彼に連なる弟子たちは四諦を説いて、この世の一切が苦であるということ、何かに対して執着すること自体が苦の原因であるということ、
現世そのものに対するものも含めた執着を捨てることこそが悟りへの道であるということを説いたわけですが、
現在我々がブッダに対して抱く(と思われる)包容力のある慈悲のイメージとはとはかなり異なり、その道程はかなり過酷です。
なにせ彼が捨てるべきと説いたものの中には現在の我々にとって「人間の暖かさ」に含まれるようなものもあるわけです。
例えば、何とは言いませんが親や子が感染症にかかったとしても、その生存を望むことすら煩悩であり解脱への妨げになるわけですし、
自分がかかった場合はなおさらです。人を愛する事自体が苦の根源ですし、下手な話電車でマスクすること自体が煩悩な訳です。
無明マンの個人的な意見ですが、多分ブッダとプラトンはあの世で結構意気投合してるんじゃないかと思います。
我々のイメージとは違い、ブッダは精神的マッチョイズムの権化のような気がしてきます。そりゃ大乗も出てくるわけだ。
そう考えると、今年問題になった様々な問題にも煩悩の影を見ることができるような気がします。
BLM運動の背景にある黒人への構造的な差別や、今年はじめから問題になっているアジア系への差別、米中の貿易戦争といったグローバルな問題も人間の煩悩といった側面から捉えることができますし、
そんなデカい問題に限らなくとも自粛警察やマスク騒動なんて瞋恚の権化みたいな現象です。誤解を恐れずに言えば死者を悼むことすら捨てるべき煩悩にほかならない訳です。
他方、そういった煩悩に救われた人々がいるのもまた揺るがし難い事実です。
驚異的なスピードで進んだ(進んでいる)ワクチン開発や、医療従事者を始めとするエッセンシャルワーカーの方々の献身的な努力はもとより、
封鎖された都市の中における人々の心温まるような結束すら、煩悩なくしてはありえなかったと言えます。
グローバルな経済活動・資本主義の覇権といった煩悩の産物が感染症被害を拡大せしめ、人間集団が自身とその近接者の生存・物理的および精神的優位に執着して互いに争う一方で、煩悩に立脚した人間愛が人々の結束と献身を支え、徐々に感染症を克服しているこの「特別な年」を、ブッダならどのように締めるでしょうか。
成績や物欲、金銭欲、名誉欲、睡眠欲、そして水泳。
煩悩マシマシの生活を送っている一学生の言などそんな真に受ける必要は無いですし、特に何か言うつもりも無いですが、
来年は少なくとも夏までは煩悩にまみれた生活を送ることにしようと思います。
まあ何に執着するかはあえて今は述べるつもりはありませんが、ラストシーズンはこの負のエネルギー(?)を糧にスパートをかけていきたいと思います。
つーわけで個人的な今年の漢字は「煩」です。人間の煩悩が人を殺し、救けたこの2020に聞く除夜の鐘は、去年までとはまた違う響きがあるような気がします。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響ありってやつでしょうか。
個人的にはもう1つ書きたいトピックがあったのですが、そろそろ僕も年明けの番組が見たいのでこの辺で筆を置きたいと思います。
もう1つのトピックについては、次回かラストブログにでも書こうと思います。キーワードは「暦」です。あんまり期待せずに待っといてください。
最後にコロナ前後で個人的にちょっと印象が変わったロバート・ブラウニングの大変有名な詩をここに載せて今年度のブログを締めくくりたいと思います。
ぜひ皆さんも自分に当てはめて、どのように印象が変わったかを考えてみてもらえると嬉しいです。
時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
今年一年大変お世話になりました。来年も応援よろしくお願いいたします。良いお年を!!
東京大学水泳部競泳陣を勝手に代表して。
Veni, Navi, Vici