あけましておめでとうございます。
おつかれさまです。2年の興津です。
2020年もよろしくお願いいたします。
今日の練習にはOBの河越さん、長谷川さん、萌さんがいらしてくれました。
引退なさってからあまりお会いすることができないので、お会いできて嬉しかったです。
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了(2)作でした。
富永監督の隣で泳がせていただいたのですが、圧倒されました。
富永監督に比べて体が沈んでいるような気がしました。
呼吸の動作が大きく頭の回転が大きく、そこで体が沈んでいるような気がします。。
さて。2020年ですね。
東京オリンピックが開催されるということで、スポーツ界は盛り上がることが予想されます。
今年のお正月も、箱根駅伝、高校サッカーなど様々なスポーツイベントが開催されています。
駅伝は青山学院大学が2年ぶりに王座を奪還しましたね。
4区で区間新の走りをした吉田祐也選手から1度もトップを譲ることなく優勝しました。
駅伝はあまり詳しくないのですが、10区で13年ぶりの区間新をマークし、初のシード権獲得に大きな貢献を果たした創価大の嶋津選手が印象的でした。
彼は今何かと話題になっているNIKEの厚底シューズ、「ヴェイパーフライ」を着用していませんでしたね。着用率は84.3%にも上ったとか。
今回の「ヴェイパーフライ」に関する議論は、2008-09年ごろ競泳界で話題になった「レーザー・レーサー」に似ているように思います。
規制がない以上、勝つための手段として使用されるのは当たり前でしょうね。
高校ラグビー、通常「花園」も開催されています。
千葉県代表の流通経済大柏が東福岡に負けてしまって悲しいです。東福岡は本当に強いですね。
大阪桐蔭vs桐蔭学園の桐蔭対決は面白い試合でした。
ベスト8の8校のうち3校が大阪の高校であり、東福岡などを合わせれば実に6校が関西勢ということ(ベスト4のうち東日本は桐蔭学園だけ)もあって、「西高東低」ともいわれる高校ラグビーですが、そんな中で「東の横綱」と呼ばれる桐蔭学園には頑張って欲しいと思います。
高校サッカーも開催されています。
私の住む千葉県代表は全国大会の決勝常連(2016年インターハイ決勝は千葉県vs千葉県)ともいわれるほどレベルが高いのですが、千葉県代表の市立船橋がまさかの1回戦敗退ということで、悲しい気持ちで見ています。
前回優勝の青森山田高校がとんでもない勢いで勝ち上がっていますね。セットプレーのチャンスをこれでもかとモノにしてきます。
仙台育英と日大藤沢の10人目までもつれたPK対決もすごかったです。
「西高東低」といわれる高校ラグビーに対し、高校サッカーにおいては「東高西低」の傾向が強いです。
おもしろいですね。(?)
明日からはいよいよ準々決勝が始まるので、楽しみです。
(誰もついてきていないことに気づく)
こんな話、誰がおもしろいんでしょうかね。すみません。
ということで今日はもう少し書いてみようと思います。
先ほど私が書いたようなものをはじめとするスポーツや、何か他の分野で活躍する人たちは、全員が必ず「努力」をして、晴れ舞台に立っています。
「努力する」ということについて、私の思うことを書こうと思います。
「努力はベクトル量である」ということはよく言われます。
どういうことでしょうか。
まず、ベクトルというのは、「大きさと向きをもつ量」と定義されます。一方、向きがなく大きさのみを持つものはスカラーと呼ばれます。
つまり、努力はベクトル量であるということは、努力の「量」だけでなく、「方向」も重要になってくるということですね。
努力の量、努力の方向については、後で考えていくことにします。
水泳部のブログなので、競泳を例にとって考えてみます。
仮に、努力のベクトルを上のような(x方向の)直線で表すことができるとします。
この時、「x軸」への正射影が、「競技力」(つまり競泳でいえば「速さ」に繋がるもの)の大きさ、高さを表すとします。
つまり、「競技力」は、C>D>A=B
努力の量(努力によって得られるモノの量)は矢印の大きさ、努力の方向は矢印の方向に対応します。
練習での泳ぎ込みやドライトレーニング、ウエイトトレーニング等の生理学的なトレーニングは、努力の量、つまり矢印の大きさを大きくすることだと言えます。
我々を含め、競技として競泳を行っている人は、基本的には矢印は右向き(x軸の正の方向)に矢印が向いているであると考えていいので、泳ぎ込み、ウエイトトレーニングを行うことで、競技力を高めることができるでしょう。
しかし、矢印の方向が右向きから遠い競技者は、矢印を大きくしたところで競技力の向上は小さくなってしまいます。
AとCは努力の量が同じにもかかわらず競技力には大きな差があり、AとBは努力の量に大きな差があるのに競技力としては同じレベルにいる、といった具合です。
ここで、矢印の方向に対応する量は、「技術」であると考えます。
「技術」と一概に言っても色々あるでしょう。
骨盤の前傾後傾、肩甲骨の下制など、例を挙げていけばキリがありませんが、競技力の高い選手たちが当たり前に知っていること、できることでも、私たちが知らないこと、できないことはとても多いです。
こうしたことを知り、できるように訓練していくことで、矢印を右向きにしていくことができるのではないかと思います。
「努力する」と言うのは簡単ですが、実際には非常に難しいことです。
多くの人は、「努力する」ことが十分にできません。私もその1人だと思っています。
努力できる人とできない人の違いはなんでしょうか。
「努力」を「きついこと」と考えては、なかなか継続するのは難しい。
「きついけど頑張る」といった精神論ではどうにも限界が来てしまうので、「どうやって楽に継続するか」を考え、その方向に仕向けていく方法論が必要でしょう。
そうすればいずれ、努力が「頑張っているもの」から「習慣」へと変わります。さらには「継続している」という感覚すらなくなるかもしれません。
努力ができることを「努力する才能があるから」と片付けがちですが、そうしたところで自分自身が変わるわけではなく、他者を同じ土俵にいると思わずに特別視することによって自身への(努力することへのモチベーションとなるような)劣等感を消そうとしているわけです。
言い訳をして逃げることは簡単ですが、これでは努力し、成長することは望めません。
「自分とは何が違うのだろうか」「どうすれば努力できるだろうか」といったことを具体的に考え、自らの環境を変えていくことから始めていくことが重要です。
努力には正解がありません。成果が得られるという確証はなく、得られた成果を具体的な要因に帰結することも難しいでしょう。
「何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。
報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。」
これは棋士の羽生善治氏の言葉です。
報われないかもしれない努力をする上で大事になるかもしれないのは、「報われないかもしれない」と分かっていても努力を続ける力です。
そのためには、過程を重視すること、努力することそのものに価値を見出すような、一種の信仰のようなものが必要かもしれません。
どうでしょう。努力することってこんなに大変なことなんですね。人間、放っておくとすぐに楽な方へ行こうとしてしまいます。
少しずつ自分を変えていって、引退する時に後悔が残らないような努力ができればいいですね。
今年も頑張りましょう。
それでは。
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