テレビで再び「タイタニック」(1997年)。

 

 画家志望の貧しい青年ジャックとかつては裕福だった家の娘ローズがタイタニック号で知り合い、熱愛の仲に。

 

 しかしタイタニックの沈没により、ローズは生き残るがジャックは海底にという哀しい恋物語だ。

 

 映画ではローズが生き残り、100歳にして84年前の沈没の様子を回想するという形をとる。

 

 ところで、タイタニック沈没後、彼女は生き抜き、結婚し、子どもをもうけている。

 

 『熱愛だったにもかかわらず彼女は新たに伴侶を求めたのか?』といったありそうな思い。

 

 しかしこの映画には次のようなシーンも。

 

 二人が投げ出された冷たい洋上で救助を待ちつつジャックはローズに言ったのだ。

 

「君は助かる。君はたくさん子どもを産むんだ・・・」と。

 

 後にローズが伴侶を求めることをジャックの望みとして描くという製作者たちの配慮だったのかもしれない。

 

    

 

 思い出すのは60年代、実話をもとに出版物、映画、歌などで日本中の話題となった「愛と死をみつめて」の話。

 

 大島みちこさんが悪性の腫瘍で亡くなり、恋人だった河野實さんは実話の主人公として一躍時の人に。

 

 しかし河野さんはその後ひっそり結婚。

 

 河野さんはメディアに追いかけられ、方々から結婚を非難する声があびせられたと聞く。

 

 非難の理由は様々だったろうが、勝手なものだ。

 

 若い恋人たちには事故や病気などでの死別、あるいは誤解やなんらかの行き違いなどによる生きたままの別れなど、様々な別離がある。

 

 しかし、そこから人が区切りをつけて別の人生を歩み始めることは自然なことでもあり、誰にもそれをとがめる資格はないはずだ。

 

 ローズは架空の人物ながら、ジャックとの忘れがたい思い出を胸の奥にしまい込みつつ、次の人生に踏み出したと想像し、ぼくは彼女のその後の人生を率直に祝福してやりたいと思う。

 演歌歌手の松原のぶえさんが亡くなった。

 

 享年65歳だったそうだ。

 

 ぼくは松原のぶえさんのファンというわけではないが、デビュー曲「おんなの出船」だけは知っている。

 

 「涙、涙、涙、涙、涙枯れても・・・」という歌い出し。

 

 「涙」という言葉を五度も繰り返す、意表を突く歌詞に惹かれたのだ。

 

 もっとも、後段では「愛を信じて」だの「沖じゃかもめが飛ぶ」など、通俗的になっているのはいただけなかったが。

 

 ただ、のぶえさんの声はよく伸び、安定していること、それにビブラートのかかり始めどころがよく、それがとてもきれいなのだ。

 

    

 

 こんな歌唱力をもつのぶえさん、いったいどこでその力をつけたのか?たたき上げなのか?などと思って調べてみた。

 

 どうやら子どもの頃から歌が好きで、タレント養成所に通い、スカウトされたようだが、それ以上の詳しいことはわからない。

 

 デビューは18歳というから、順調な出発だ。

 

 才能にも恵まれていたのだろう。

 

 腎臓の持病には悩まされたようだが、今回の早い御逝去にも関係があるのかもしれない。

 

 ご冥福をお祈りいたします。

 「ワイルド・スワン」(ユン・チアン著 1993年邦訳)、友から勧められ読む。

 

 文化大革命で親兄弟共に迫害を受けながらも生き抜き、英国に渡った女性がその半生を自ら綴ったものだ。

 

 文革の内実についてはともかく、ぼくが本書で関心をもったのは当時の中国で展開された人民公社のことだ。

 

 元々ぼくは青年期にイスラエルのキブツや、日本の「新しき村」など広い意味でのコミューンに憧れをもった。

 

 人民公社もそのひとつだった。

 

 農村で人々がお互いのために共に働き、助け合い・・・という理想郷のような構想で、当時の中国の小説でも広く描かれていたものだ。

 

 が、文革の終息と前後して公社は次々と解体されてしまった。

 

 その内情はぼくにはよくわからぬままだった。

 

 この作品では、そこのところが著者の体験を基に語られているのだ。

 

     

 

 

 大躍進に続く大飢饉

 中国革命後約10年、「大躍進」政策(1958年)の下で、毛沢東は共産主義とは「ただでメシが食える公共食堂である」(上P307)と述べ、農民の自宅での食事を禁止し、公共食堂で食事を無料で提供した。

 

 その結果、農作業の効率など誰も気にせず、農民は畑で昼寝・・・。

 

 そうしてやってきたのは1959年の大飢饉だ。

 

 毛沢東は批判を浴び、大躍進政策は見直され、改善をみる。

 

 が、文革(1966年)とともに毛沢東は再び実権を握る。

 

 

 人民公社での著者の体験

 著者は1969年、17歳頃、徳陽という人民公社の生産隊に配属され、そこで農作業に従事。

 

 ここでは毎朝、隊長からその日の作業の割り当てがある。

 

 一日働けば隊員には「工分」という労働点数が与えられ、この合計がその年の終わりにもらえる労働生産物の分配の基礎になるそうだ。

 

 しかし、この合計点数は人々がどれだけ懸命に働いたかでなく、単に何日働いたかを表すだけ。

 

 人々は5時間仕事にも10時間をかけるなど、みんなノロノロと働く状態だったそうな。

 

 著者自身も一日の作業終了を知らせる笛の音をまだかまだかと待ち焦がれ、「退屈は重労働と同じく疲れるものだと知った」(下P236~237)と述懐している。

 

 なるほど、これらはその一端でしかないが、人民公社での仕事ぶりは、ぼくが青年期に聞いたものとはずいぶん違っていたようだ。

 

 すでに崩壊したソ連や東欧の社会主義農業もことごとく同じ運命をたどった。

 

 これをもって、人間は自己本位の勝手なものと断定したくはないが、コミューンの夢はロマンだけでは果たせない、これは確かなようだ。

 

 なお、文革の貴重な証言の書たる本書を関心のある方々にお勧めする。

 報道によれば、宮内庁は上皇陛下の意向を受け、将来の葬儀の大幅縮小の検討に入った とのこと。

 

 上皇陛下の配慮として、「国民生活への影響」が少ないようにとのことが一つだ。

 

 国全体が異様な自粛ムードに包まれたあのときの記憶は今も鮮明だ。

 

 各種祭典、祭礼、イベントなどの中止、テレビ番組では笑いも消え、巷では結婚式の延期まで報じられた。

 

 上皇陛下は皇室事情のそうした国民生活への負の影響を案じておられるのだろう。

 

 他方では、葬儀の規模の大きさに加え、昭和天皇崩御に伴う宮中での二カ月にわたる重いもがりの行事の連続、その他一年にわたる関連行事があり、それにかかわる人々や残された家族の厳しさ、こうした事態は避けられないのか?という陛下の問いかけだ。

 

 一般国民には知る由もないが、皇室の長い歴史の中で生まれ、ふくらみ、定着したおびただしい数の行事、それらに皇族自身が振り回される、そんな葬儀の在り様に疑問を投げかけておられるようだ。

 

 ぼくは上皇陛下がその体験を通じて問題意識を温められ、さらに一歩進めてその実現に踏み出されたことに敬意を表したい。

 

 考えてみれば、政治家や国民が皇室行事にモノ申すことは難しい。

 

 今回のような大幅な見直しは陛下自身の提言あってこそであり、この種の改革が今後も不断に続いていくことを切に願うものだ。

 

    

 

 ただ、ひとつ不安なのは国民生活への影響を和らげることのむずかしさだ。

 

 昭和天皇の容体が重篤となったあのとき、自粛は政府の指示や法令からではなく、どこからともなく始まり、瞬く間に国民相互の監視状態のような空気になってしまったような気がする。

 

 あのような情況の再来はゴメンだが、それは何によって防げるのだろう?

 

 これはぼくらの社会の成熟度が問われているのかもしれない。

 テレビ朝日で「池上彰のニュース そうだったのか!!特別編 世界の人は今の日本をどう見てる」。

 

 2時間枠の長編で、伊印英韓中米6か国の日本大好きゲストを招いての対話番組。

 

 内容は、日本のどこが好き?、日本に慣れ、帰国して困ったこと、びっくりした日本の不思議など実に多彩。

 

 街にゴミ箱がないのにゴミが落ちていないこと、小学生が一人で登下校できる治安の良さ等々、聞いた話もあるが、メガネを安く早く買えるとか、人気の文房具など、初めて知ることも多く、とても楽しかった。

 

 ぼくが一番驚いたのは日本語には、キラキラ、わくわく、ギラギラなどといった擬音語、擬態語(オノマトペ)が多用され、世界でも突出しているという話だ。

 

 米国人ゲストによれば、日本語の習得で一番むずかしいのがこのオノマトペなのだとか。

 

 池上彰氏によると、日本語には動詞が少ないのがその理由だという。

 

 例えば、ぶらぶら歩く、ヨチヨチ歩く、とぼとぼ歩く。

 

 英語では、それらは順にstroll、 toddle 、trudgeという動詞で区分され、副詞をつけてのwalkは使わないというのだ。

 

 なるほど、そういえば、学校で習った英語にオノマトペはなかった。

 

 そんな面白い番組で、また日本の良さを伝える心地よい番組でもあった。

 

    

 

 一方、気になるのはこの種の日本や日本人を称賛するテレビ番組やネット情報がいつ頃からか、結構多いことだ。

 

 ぼくが少し不安になるのは、あまりこうした情報に触れ続けていると、日本は何て素晴らしい国なのだ!、日本に生まれて幸せ!、最高!と有頂天になってしまいはしないかということだ。 

 

 テレビ局は外国人を集めて「日本、こんなところがイヤ」「日本人のこんなところがキライ」などという番組は決して放送しない。

 

 誰も観ず、視聴率も上がらないからだ。

 

 広い視点から自分たちを客体視する努力を怠れば、自身の進歩も異国の人々との対等で豊かな交わりもありえないと案じるのだが、どうだろう?。