はじめから終わりまで重厚な雰囲気の映画だ。
物語は複雑なのであらすじは省略するが、中心はこうだ。
藩の世継ぎ争いがらみのもめごとで、幕府による御家(おいえ)取り潰しを恐れた藩では、もめごとの原因を家臣の戸田(役所 広司)が藩主の側室と密通したということにし、
戸田に切腹を命じる。
普通ならこれは「濡れ衣」だが、戸田は御家を守るためと了解し、弁明もせず切腹に応じる。
切腹の場に赴く戸田の姿は荘厳で潔く、哀感とともに美しく描かれており、涙を誘う(かに映る)。
武士道の核心が藩主=御家に対する忠誠にあるとすれば、この切腹も武士としての忠義の証ということになろうか。
しかし身に覚えのない密通の罪をかぶるとは、本人も家族も納得しがたいのが普通。
映画では、その切腹の妥当性に疑問を抱いた監視役 壇野(岡田 准一)が戸田に尋ねる。
それは「戸田様の名誉にかかわることではありますまいか?」と。
戸田は答える。
「名を捨ててかからねばならぬのが御奉公」と。
戸田は不名誉をかぶることも忠義の内と割り切っているのだ。
この点が一般に描かれる武士道をさらに一歩進めた作品となっており、その意味でこれは究極の武士道とでも評すべきものだ。
江戸時代だからこそ、こんなことが許され、美徳として讃えられたのかも知れない。
だが、よく考えてみれば、こんな理不尽があってよいものだろうか。
ぼくなら真っ平だ!と拒みたい。
さて、そんな時代を過ぎた今、ぼくが思うに、自由に自身で考え行動するのが普通の人の姿。
原作者や製作者たちは、今を生きているぼくらに武士道によるむごい死の強制を事実上肯定的に描くことによって、いったいどんなメッセージを送ろうとしているのだろう?
これが時代錯誤でなくて何なのか!
こんな時代劇が跋扈するようでは時代劇に存在価値はない。





