大阪 能勢の温泉施設に引き取られた鹿は

「シカやん」と命名されたそうだ。

 

 先日まで大阪を闊歩していると聞き、

交通事故などを起こしては大変と案じていた矢先、とにかく一段落してよかった。

 

 この鹿、奈良公園からやってきたのでは?という話だったが、奈良の関係者は「角切りの痕跡なし、故に奈良公園の鹿とは断定できない」とか。

 

 しかし、人をまったく警戒しないあの様子、奈良公園「産」だとしか思えない。

 

 ぼくは渓流釣りで何度も鹿に遭遇してきたが、野生鹿の警戒心は並みのものではないからだ。

 

    

 

 ただ、気になるのはこのできごとが暗示する問題点だ。

 

 奈良公園の鹿は近年増えており、過密状態になっているらしい。

 

 シカやんが大阪に現れたというのも、鹿の頭数増加→一部(さしあたりは若いオス)が押し出されるように流出したということではないのだろうか。

 

 この先、交通事故で人まで巻き込まれたり、農作物被害が拡大するなどの前に手を打たなければと案じる。

 

 が、こうなると「駆除」という声まで上がり、ハチの巣をつついた状態になるのは必至。

 

 当面、鹿の頭数増加が事実なら、その原因の正確な調査が求められる。

 

 観光客が増え、それに伴って与えるせんべいの量が増えたからという説もあるようだが、真相はわからない。

 

 対策は先ずはそこからだ。

 映画「シャイアン」をみた。

 

 白人との戦いに敗れ、1878年、指定居留地に強制移住させられたシャイアン族だったが、荒地での過酷な生活に耐えられず、故郷イエロウストーンを目指す決死の旅に。

 政府は討伐軍を送るが、シャイアン族に同情的な主人公アーチャー大尉は板挟みに・・・。

 

 といった内容で、史実を基にしているらしいが、その歴史事情に詳しくないぼくには筋書がわかりにくい。

 

    

 

 ただ、この映画が西部劇をたくさん手掛けてきたジョン・フォード監督によるものであることには注目したい。

 

 ジョン・フォードといえば「駅馬車」(1939年)に代表されるように、インディアンを野蛮で乱暴な人種として描いたはず。

 

 が、ここでは悲劇の主人公として彼らを描いているのだ。

 

 聞くところでは、彼はこの映画を一種の「罪滅ぼし」として撮ったそうだ。

 

 映画「駅馬車」から四半世紀。

 

 インディアンを「先住の民」とするあるべき視点がようやく映画にも表れたということだろうか。

 

 「開拓」という名の先住民圧迫の歴史、考えてみればぼくらの国でも北海道開拓の名の下にアイヌの人々に対した歴史があった。

 

 そうした視点の転換が洋の東西を問わず、さほど古くはないことに改めて驚かされる。

 

 

 BS1でHIMARIのバイオリンが紹介された(「HIMARI」という名の才能 14歳バイオリニストの現在地)。

 

 番組ではHIMARI(本名 吉村妃鞠)のベルリンフィルとの共演、それに先立つカーチス音楽院への最年少での入学、そこでのアイダ・カヴァフィアンによる指導模様などが紹介されていた。

 

 冒頭での「カルメン・ファンタジー(ワックスマン)」。

 

     

 

 なんと、このとき彼女はまだ13歳だという。

 

 バイオリンなど手にしたこともないぼくだが、素人なりに音程の正確さ、それに「これが子どもか!」と驚くような表現力の成熟ぶりは感じる。

 

 例えるなら、美空ひばりの早熟ぶりだ。

 

 ひばりの「悲しき口笛」(12歳)、「東京キッド」(13歳)、「私は街の子」(14歳)。

 

 初めてそれらを耳にしたとき、ぼくはその「できすぎ」に驚くとともに、子どもらしくない一種の気持ち悪ささえ感じてしまったほどだ。

 

 ひばりが幼少期、NHKののど自慢に出たとき、審査員が「うまいが子供らしくない」などの理由で合格点を出さなかったという挿話は正にそれだ。

 

 それはともかく、HIMARIの指導員アイダ・カダフィマンさんの述懐では、自身がカーチス音楽院の指導教官を引退しようと考えていた頃、入学を志したHIMARIのビデオを見せられ、引退をとりやめてHIMARIへの指導を決意したそうだ。

 

 「彼女を唯一無二にしているのは、若い体に古い魂が宿っているところです・・・彼女は比類なき才能です。それは教える私にとっても一生に一度の機会なのです」と。

 

 どういう才能なのかはよくわからないが、専門家の目からみて、尋常でない可能性が見てとれたということなのだろう。

 

    

 

 おそらくHIMARIは今後確実に大成し、大バイオリニストの一人になっていくことだろう。

 

 しかしどんな風に?

 

 有名な演奏家の中には、幼少期にHIMARIほどの異彩を放つわけではないが、それでも努力の末に著名な演奏家として大成する人もいるはずだ。

 

 幼少期の成熟度がそれぞれ異なる彼らには、大成の仕方にどんな違いが出てくるのだろう?

 

 単なる成熟の早さという違いだけにすぎないのだろうか。

 

 興味深いところだ。

 

 なつかしい面々。

 

 今日は総勢24人。

 

 大学の同窓会だ。

 

 と言っても、クラスやゼミの同窓会でなく、かつての学生運動のそれだ。

 

 再会してお互い顔を見てもすぐにはわからないことも。

 

 また、長老格のヨシさんはすでに腰が曲がり始め、加えて耳が遠く、カコさんは手術後の脚が重そう。

 

 卒業以来、不定期にこの集まりを重ねてきはしたが、実は今回が最後となる。

 

 というのも、すでに物故者もおり、また回を重ねるごとに体調不良などで参加者が減ってきているからだ。

 

 隊列を組み、長い距離を歩き、時には走り、シュプレヒコールしたあの日々、今のそれぞれの姿を誰が予想しただろう?

 

     

 

 今回最後ということなら!と、緑内障のため自力では外出できないマサ君などは「是非行かなければ!」と息子さんに付き添われた遠方からの出席だった。

 

 先ずは車座になってそれぞれの近況や思いを順次スピーチ。

 

 その後は宴会場へということになった。

 

 学生時代のある日、ぼくは自分が老いたとき、社会運動の進展でこの世はすっかりバラ色に変わっていると想像したことがあった。

 

 当時の大問題だったベトナム戦争は終わり、

日本の国家体制は変わり、沖縄の人々を苦難に陥れていた米軍は去り・・・といった数十年後の世の姿だ。

 

 確かにベトナム戦争は終わった。

 

 また沖縄も本土復帰を果たした。

 

 が、沖縄の苦難は続き、戦争は場所を移して相変わらずだ。

 

 こんなときぼくは「We shall overcomeを歌った日」(森山良子)の一節を思い出す。

 

 「We shall overcome 歌ったあの日、

あれから どれくらい この時代は 進んだのかしら」。

 

 歴史というものは、少なくともぼくが若い日に夢想したほど単純でないことだけは確かなようだ。

 

    

 

 同窓会で予定された時間はあっという間に過ぎてしまった。

 

 もう会うこともむずかしくなる仲間たち、その彼らと交わす別れの言葉。

 

 「またね」ではなく、「達者で!」が一番ふさわしいのかも知れない。

 

 が、それは口にしたとたん、思わず涙ぐんでしまいそうになる言葉でもあった。

 BSで若尾文子主演の古い映画「刺青」をみた。

 

 筋書きを手短に述べれば、ある女の美肌にほれ込んだ刺青彫師が「一生に一度、自分の命」としてその背中に女郎蜘蛛の刺青を彫り、その刺青が「男という男を食い殺して自分のこやしにする」と予言。

 女はやがて彫師の予言どおり男を殺し、金をまきあげる残忍な芸者になるが、最後には「この女郎蜘蛛は生かしちゃおけない」と考えるに至った彫師に殺されるというもの。

 

 全体にわたって主演女優の半裸の姿が何度も映されるほか、縛られたり悶えたりというシーンが多く、フーン、その種の映画なのだと納得。

 

     

 

 物語の展開には不自然さやつくりモノ臭さが目立ち、稚拙な映画との印象は否めない。

 

 とはいえ、「女郎蜘蛛」という「作品」が彫師自身の思いを超えて暴走を始めるという一種の皮肉は、形を変えてありうることとして興味深い。

 

 原作は谷崎潤一郎とある。

 

 映画が原作にどれだけ忠実なのかはよくわからない。

 

 ただ、この一種の皮肉への着目が谷崎の視点だとしたら、

映画それ自体の通俗さとは別にそこだけはさすが!という気がしてくるところだ。