夏休みの課題をほとんど出さない人がいます。中には出せない人もいたりします。
どう指導したらいいのかとずっと悩んでいましたが、
ひょっとしたら参考になるかもしれない文章を見つけました。

東洋経済オンライン 中島 聡 2016.6.14
「仕事が遅すぎる人」に共通する残念な考え方 すべての仕事は必ずやり直しになると心得よ

という記事なのですが、
量が多かったり、課題が大きかったりすると、完璧を目指すタイプの人は、
最初からじっくり、きっちり取りかかるので、間に合わなくなったり、
課題に押しつぶされてしまったりするのだということでした。

対処法は、全体像を確認することがまず第一だということでした。
プロトタイプ(試作品)をまず作ることという表現をされていました。

夏休みの宿題などの場合は、おおざっぱな予定表でもいいので、
何をいつまでにやるかといったスケジュールを作ってしまうといいのかもしれません。

普段の学習でも、ワークを最初からきっちり進めないと気が済まない人がいますが、
最後のほうまで行くとたいていは、初めの部分が消え去っているものなので、
もしAランク、Bランクといった難易度のちがいがあるなら、
まずAの部分を早く終わらせることを心がけるべきでしょう。

そうして、最後の部分にたどり着けたら、
また最初に戻って、Aランクのミスした問題を再度解いて、
Bランクの問題に向かうととても効率的にまた効果的に学習が進められると思います。
塾内のホワイトボードに、「使えるような学び方をする」と備忘録的にメモしておいたら、生徒が次々に真似をして書き出した。
文字通り、学んで身に着けることが大切なのは言うまでもないが、活用できないのであればそれは絵に描いた餅みたいなものに過ぎない。
なぜそのようなことが起きるのだろう。いろいろな理由はあるかもしれないが、一つには、納得しないままに覚えてしまっていることも原因なのではないかと思う。
“なぁーるほどね”と納得するまで説明するからと言ってはあるのだが、どうも中途半端にしてしまう人も多い。
これからも。くどいくらいに確認して進めていきたいと思っている。
今日は、第五週の月曜日なので授業はお休みでした。なので、家内と浅草演芸ホールに行って落語を聞いてきました。昨日の学習会の折に参加されていた先生が、とても面白かったとおっしゃっていたので、本当は明日行くつもりだったのですが、予定が空いているのが今日しかないということだったので急遽決行が決まりました。
あさ9:11分のJR宇都宮線に乗って出かけ、栗橋乗り換えで一路浅草へ。
小雨模様の中を歩いて、まずは浅草寺へ行ってお参り。仲見世で何か買ってから演芸ホールに入るつもりでしたが、雨も降っていたし、時間ぎりぎりでもあったのでそのまま直行。
最前列のど真ん中の席をゲットしてから、売店へ行っておいなりさんとかんぴょう巻の寿司を買って席に戻って、開演前に食べました。(一生懸命演じている人の目の前で食べるのはさすがに気が引けたので。)
落語はもちろんのこと、漫談あり、マジックショーあり、曲芸やコントと盛りだくさんの出し物で前半の4時間半余りを満喫してきました。
座りっぱなしは少し疲れたのと、同じ姿勢を続けたので“エコノミー症候群”みたいのも経験した貴重な一日となりました。
仕上げは、田原町駅近くのインド料理店でおいしいカレーをいただきました。カレーが大好きな家内は大喜びしてくれました。考えてみたら、二人で出かける機会がほとんどなかったなぁと今更ながらに思いました。
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ちょっとタイミングがずれてしまいましたが、4月15日で満26年を終えることができました。もっともその日は、下肢静脈瘤の手術のために入院をしていたので、授業はありませんでしたが・・・。
そして、この5月2日には、自宅から現在の場所に移動して11年が過ぎました。移動してくるまでは、自宅周辺の児童数の激減から、廃業まで考えていましたので、こちらもおかげさまと言わざるを得ません。
この場所に導いてくださった方、この場所を快くお貸しくださっている地主さん。通ってくださった生徒さんたちと親御さんたち。現在通ってくださっている皆さんに感謝です。
しばらくお休みしていましたが、また再開したいと思っています。いつまで続くかは、???ですが。
ネットでは「コピー、コピー、コピー。彼らはオリジナルを作ることを忘れてしまったようだ」といった書き込みが目立つ。
 そうではない。彼らには、創造する力がないのであって、それでも体裁を繕いたいがためにこのような行動に出るのだと私は思っている。
 すべての国民がそうだとは思っていない。一部の富裕層や権力を握っている階層の人たちに力がないのだと思う。
 他の自由主義国では、個人が自分の意見なり、デザインなりを発表する場があり、それが許されている。
 しかしながらかの国では、一部の特権階級や富裕層がそのような動きを封じてしまうためにせっかく持っている力を表に出せずにいるのではないかと思う。
 実に悲しきは、庶民の待遇であり、一刻も早い政権の崩壊と国民の自由解放の実現ではないかと私は思っている。
なげかわしい!
 こんな人が、今もって国政の一部を担う国会議員であることが。
 論語に、「過ちて、改めざる。これを過ちとなす。」というのがある。
 今の中国に論語の思想はないので、これは日本に根付いている考え方といってもいいが、
正に“潔(いさぎよ)くない”人の見本みたいな人だと私は思っている。
こういった事件は、実相を反映しているので、興味深い。
 香港の記者が述べていたが、中国では当たり前のことかもしれないが、世界基準では到底受け入れられない内容だと私は思う。
 同じようなことが、浅草で起きたというニュースを目にした。日本では、都市部では水洗が当たり前なのだが、中国では違うらしい。
 浅草の公衆トイレに多くの糞の付いたペーパーがごみ箱に捨てられていたという。
 傍若無人というか、世間知らず、常識知らず。他国に対する謙虚さを持たない中国の旅行者にあきれるばかりだ。 
 英語のことわざにも、When you in Rome, do as the Romans do.というのある。もちろん和訳は、郷に入らば郷に従え。
 これを引くまでもなく、よそを訪れたら、その地域の様子をしっかり把握し、その地の習慣なり、行動様式を尊重することが、常識だとしている。
 申し訳ないが、こと中国の方々には、この国際常識は通用しないらしい。
 今回のこの事件は、それを自国内で如実に表した事件といっていいだろう。
この記事を見ても、結局は共産党の幹部たちが自分たちの地位や利権を確保するためにさまざまに活動しているとしか見えない。
正に、国民なんかそっちのけで、である。
こんな状況がいいはずはない。荒療治ではあるが、破綻して新たな枠組みで再出発を図る方が得策ではないだろうか。
再出発を図っても、うまくいかないかもしれない。でも、人間はこれまでも幾多の失敗を経験しそれを糧として成長してきたことを思うと、
今この時期に再出発をするべきではないか、と切に思う。
真実には目をそむけ、こんなことしかできない人たちなんだと思った。
とてもかわいそうな人たちだ。早晩、中国とともに淘汰されるであろう国家の行く末を思うと、哀れに思えてしょうがない。
人間に与えられえている能力の最たるものは、争いを避けるために協議する能力ではないかと私は思っている。
しかしながら、かの国の醜菌何某という政治のトップは、このことをわきまえることができない、いわば人間としての能力を持たない人か、それを放棄してまで、人間以下になりたがっている人のように思える。
ここはひとつ、かの国との貿易や通商交渉を他国にシフトさせて、経済面で対抗するのが良いのではないかと思う。日本が率先してその方向にかじを切れば、追随する国はあまたになろう。かの国の内部崩壊はすでに始まっているのだから、それを早めるような策を講じさえすればいいと私には思える。
苦しんでいる中国の人たちに一日も早い安定と安心して生活できる社会を!