しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。疑いを抱く人々をあわれみ、火の中からつかみ出して救い、またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。 あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。                                                                 ―ユダ21~25ー

前回まで学んだヤコブ書の著者はイエスの兄弟ヤコブが著者だと言われています。そして、新約聖書にはもう一人イエスの兄弟が書いた手紙があります。それがユダの手紙です。新約聖書の中では最も短く、印象が薄い事は否めませんが、注意深く読むと宝が隠されています。ユダの手紙は短い手紙でありながら、終末論について語っています。世の終わりが近付くと偽りの教えが横行し、偽教師があらわれること、そして、その背後には悪霊達の活動があることが語られています。この世界には確かに目に見えない世界があり、霊の世界があり、悪霊たちと真の神の側の御使い達との戦いが絶えず行われているのです。そして、世の終わりにイエス・キリストは約束通り再臨し、新しい世界を創造されるのです。私たちはその時を待ち望みつつ、最後まで神の真実な愛と希望のもとに留まる者でありたいと思います。私たちには二つの目があります。霊の目は開かれているでしょうか?