わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなり ません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大 な者と呼ばれます。                                                        ―マタイ5:17~19-

この天地は過ぎ去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることはありません。                                                          ―マタイ24:35-
イエス・キリストの教えは当時の常識を覆し、人々に衝撃を与えました。特にそれに反発を示したのは当時の宗教指導者達でした。彼らは自分たちは正しく聖書を読み、学び、実践していると自負していましたが、それは正しい聖書の教えからはかけ離れたものでした。イエスは真理を明らかにするためにあえて一石を投じたのです。イエスの教えは旧約聖書を否定するようなものではなく、成就するためのものであったと語られています。旧約聖書で教えられていたものは本体に対する影のようなもので、本体はイエス・キリストにあったのです。旧約聖書の時代の儀式で多くのいけにえがささげられましたが、それで罪の贖いは完全に成し遂げられる事はありませんでしたが、ただ一度キリストがご自身をささげられた事で全ての贖いは成就しました。そのように、キリストこそ、真の聖書の完成者だったのです。ヘブル語は細かな一点、一画があり、それを読み間違えると全く違う意味になってしまいます。一点、一画も決しておろそかにしてはいけないのです。そして、その一点一画全てが実現し、成就すると語られています。私たちはこの教えに真剣に耳を傾け、そして、謙虚な思いと敬意を払って聖書の言葉に触れ、語り、教え、取り扱う姿勢を怠ってはいけないのです。聖書自身が人間の都合で付け足しや削除などの改ざんを行ってはならないと厳しく戒められているのです。この世の教えは変わっていきます。この世も人も人の心も変わっていきます。しかし、変わらない真実なものがあります。それがイエス・キリストご自身であり、聖書の言葉です。そして、そこに真実な希望がある事を忘れてはいけません。この世には偽りの教えが横行し、多くの人々が惑わされ、取り込まれてしまっています。本物と偽物を見分けるために必要な事は本物を知る事です。本物を知れば、私たちは惑わされることはないのです。聖書の言葉は暗闇を照らすともしびであり、光です。皆さんは聖書の中にいのちと変わらない希望を見出しておられますか?