喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
 喜んでいる者と友に喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。                                                          ―ローマ12:15-
この時代は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわっている子どもたちのようです。彼らは、ほかの子どもたちに呼びかけて、こう言うのです。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』 ヨハネが来て、食べも飲みもしないと、人々は『あれは悪霊につかれているのだ。』と言い、 人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』と言います。でも、知恵の正しいことは、その行ないが証明します。」                                                     ―マタイ11:16~19-
新しい年が訪れました。誰もが期待や新しい目標を抱いて歩もうとしていたその時、大規模な地震災害が起こりました。今もなお、多くの方々が苦しんでおられます。私たちは現地の方々の上に慰めと励ましがもたらされるように心からお祈りしたいと思います。苦しみや悲しみに会っている方々に深い関心を持ち、共感し、涙を流す事は大切な事です。また、これは当たり前の事でもあります。しかし、今回の震災を通して多くの人々の心ない冷たいSNSの投稿を目にして、何とも言えない気持ちにさせられました。根底にあるのは罪の本質、自己中心であり、無関心、無反応ではないでしょうか?それこそ、私たちは明日どうなるかわかりません。私たちは悲しみに対して正しい反応をする者でありたいと思います。イエス様の時代も、同じような傾向があったようです。この「笛を吹いても踊らず~」は一般的にも格言として用いられています。悲しみに対して正しい反応を示せないことはあまりにも大きな損失ではないでしょうか?私たちは泣く者と共に泣き、そして喜ぶ者と共に喜ぶ者でありたいと思います。イエス様も愛する友、ラザロが死んだ時、涙を流され、そして、ラザロを死からよみがえらせました。また、人々から嫌われ、避けられていた取税人ザアカイが救われた時、心から喜ばれました。共に泣き、共に喜ぶ人を神様は豊かに祝福し、用いて下さるお方です。今一度自分自身の姿を見つめ直しましょう。私たちは共に泣くこと、喜ぶことができているでしょうか?