わたしは、あなたがた全部の者について言っているのではありません。わたしは、わたしが選んだ者を知っています。しかし聖書に「わたしのパンを食べている者が、わたしに向かってかかとを上げた。」と書いてあることは成就するのです。わたしは、そのことが起こる前に、今あなたがたに話しておきます。そのことが起こったときに、わたしがその人であることをあなたがたが信じるためです。まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしの遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」弟子たちは、だれのことを言われたのか、わからずに当惑して、互いに顔を見合わせていた弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側で席に着いていた。そこで、シモン・ペテロが彼に合図をして言った。「だれのことを言っておられるのか、知らせなさい。」その弟子は、イエスの右側で席についたまま、イエスに言った。「主よ。それはだれですか。」イエスは答えられた。「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」それからイエスは、パン切れを浸し、取って、イスカリテ・シモンの子ユダにお与えになった。彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼にはいった。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」
                                                     ―ヨハネ13:18~27-
彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」 ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
                                               ―ヨハネ21:15~16-

世界三大裏切者と呼ばれている人たちがいます。世界史でいうと、カエサルを裏切ったブルータス、後は二人の義父を裏切って殺害した三国志の呂布、日本史では織田信長を裏切った明智光秀でしょうか。三人目に誰を選ぶかは人によって考え方の幅がありますが、イエス様を裏切ったイスカリオテのユダは不動の立場を保っています。イエス様の12弟子でありながら、ユダは不名誉なかたちでその名を永遠に残してしまいました。ユダについては謎が満ちています。ユダが裏切らなければ、イエス様の罪の贖いのわざは実現できませんでした。しかし、その一方でそれは赦されない大きな罪でした。なぜ、イエス様がユダを12弟子に選ばれたのか?そして、ユダはどうするべきだったのか?については多くの謎が満ちています。現代の私たちはユダの姿から反面教師的な姿を学ぶ事が多いのではないでしょうか?ユダは自分がイエス様に信頼されている弟子の立場を利用して、当時の宗教家達にイエス様を売りました。しかもその金額はわずか銀貨30枚(10万円ぐらい?)でした。裏切ったユダをイエス様はそれでも友と呼び、深い愛を示されました。後にユダは激しい良心の呵責に悩まされ、宗教家達のところに行って自らの罪を悔いましたが、全く相手にされませんでした。ユダは自ら命を絶つ選択をしてしましました・・・同じくイエス様を裏切ったペテロはどうだったでしょうか?ペテロもまた激しい良心の呵責に悩まされていました。ユダとペテロの決定的な違いは、ユダは自分の失敗を自分で解決しようとして、反対にさらに悪い結果をもたらしてしまいました。それに対してペテロはイエス様にもう一度会えるなら、会ってお詫びがしたいという切なる願いがありました。復活のイエス様に出会ったペテロは心から悔い改め、イエス様に赦されました。赦されたペテロは再び立ち上がる事ができました。イエス様はユダにもそうして欲しかったのだと思います。私たちは救われても一生罪人です。何度も神様を裏切り、悲しませる者です。しかし、心から悔い改めて方向転換するなら、神様は私たちを赦し、愛し、受け入れて下さいます。そして、また、再び立ち上がるチャンスを下さるのです。私たちはペテロとユダ、どちらでしょうか?ペテロのように赦される者になりたいと思われませんか?