「さあ、来たれ。論じ合おう。」-主は言われる。-「たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。                                       ―イザヤ1:18-
去る一月末に最強寒波が襲来しました。日常生活に支障は出てしまうのですが、今回改めて雪の白さと美しさを実感しました。ふと、イザヤ書のこのみことばを思い出しました。イザヤ書はクリスマスの時によく語られるメシヤ預言が有名ですが、聖書の中でも特に卓越した文学的センスで書かれています。この箇所で特に強調されている事は、真の神は私たちと論じられるお方であるということです。私たちは神について、聖書について、また、いのちについて、人生について、色々な思いを巡らせます。その中でで疑問や質問が生じることは必然です。私たちに必要な事はそれらの疑問をありのまま神様にぶつけることなのです。そうすれば、神は私たちに答えて下さるのです。当時、緋色に染められた染料は決して白く戻せなかったように、罪の問題は極めて深刻です。そして、私たちは自分の力でそれをどうすることもできません。しかし、人にはできないことが神にはできるのです。神は全ての罪を赦し、文字通り雪のように私たちの心を白くしてくださるのです。私たちはこの神が用意して下さった救いの道、信仰による救いを見出す者になりたいと思います。
 真の神様は私たちと話し合い、時には論じ合いたいと願っておられるのです。皆さんもありのままの思いで神様と論じ合いたいとは思われませんか?